LEGACY OUTBACK

AMT 1/25 スバル ブラット

AMT 1/25 スバル ブラット(1)

おそらく、すべてのスバリスト垂涎のモデルである。

 このキットが生産されていた頃は、とても小学生のお小遣いでおいそれと手が出せる代物ではなかったし、第一、同じ金額を出すのなら、欲しいプラモデルが他にいくつも買えたはずだ。

 実車の方は、1982年モデルから AB型 レオーネ ベース へモデルチェンジされているので、私の記憶では 1980年代中盤 には、店頭に並んでいるのを見かけることはできなかったように思う。

 海外の インターネット・オークション で時折見かけることはあっても、やはり絶対的な流通数が少なかったようで、それほど数は多くない。

 現在までのところ (そして、おそらくこれから先も)、A3/A6型 レオーネ のキットとしては、まさに 「空前絶後」 であり、風の噂で伝え聞く 「傑作キット」 との誉れ高い呼び声は、永らく 狂信的スバリスト を、「どうしてあの時に 伊藤 4、5枚 を払って、清水の舞台から飛び降りなかったのか?」 という 「深い悔恨の念」 で苛んできた訳である。

 AMT も罪作りな事をしてくれたものだ。

 しかし今回、幸運にも インターネット・オークション で 「ふたつ目」 を手に入れることができた。ようやく 私を苛んできた 「深い悔恨の念」 とおさらばできるチャンスが訪れたという訳だ。

 あ〜 すっきりした。

AMT 1/25 スバル ブラット(1)

ブラット とは、1977年10月、北米市場への輸出が開始され、1978年モデルからラインナップに加わった、A34型レオーネ ベース のスポーツピックアップトラック である。

 BRAT : Bi-drive Recreational All-terrain Transporter (直訳すれば、「ふたつの駆動方式を持った、余暇のための全天候型運送用車両」ということか。かなり拙い翻訳の見本のようだが・・・(笑))は、ご存知のように日本市場への導入はなかった。

1978 SUBARU BRAT Commercial
1978 Subaru Brat
Sweepstakes TV commercial

ちなみに、「BRAT」を辞書で引いてみると、「 悪童、悪ガキ 」というような和訳になる。現在なら、ヒップホップ、ラップ、DJ といったようなラインを狙う感じだろうか。なかなかやるな S.O.A といった感じぃ 〜 ?

 しかし、北米をはじめ、オーストラリア、ニュージーランドなどのアジア・オセアニア地域、中東、そしてイギリスを中心としたヨーロッパ諸国など、世界的にはかなり広い地域へ輸出されていた 「輸出専用車両」 で、北米では 「ブラット」、アジア・オセアニアでは 「Brumby(ブランビー)」、ヨーロッパでは 「MV(マルチパーパスビークル)」、「Shifter(シフター)」 などの名称が用いられていた。

 各国仕様には微妙なポジショニングの差異があって、アメリカ仕様である ブラット では、後部荷台に2脚の簡易シートとアシストグリップ が標準装備となっていて、レジャービークルとしての性格を明確にしていたのだけど、その他の地域では、例の 「後部座席」 は装備されず、四輪駆動のライトトラック、 つまり実用車としての利便性 ----- そして何より当時の為替レートを背景にした 「安さ」 が最大の 武器だった。

AMT 1/25 スバル ブラット(3)
AMT 1/25 スバル ブラット

なぜアメリカ市場だけ後部荷台に座席を装備したのかというと、故・影山 夙 氏 は、著書、「図説・四輪駆動車―322点の図・写真で綴る4WDの技術と発展史」(山海堂 初版 2000年10月発行 )で、アメリカでは乗用車などの輸入車に対して 4% の関税が掛けられていたが、ピックアップトラック などの 「LDT (Light Duty Truck)」 には、25% という法外な輸入関税が課せらていたため、それを回避するためだった、と述べている。

 どうしてトラックだけ 25% の税率なのか、ということなどについては、ぜひ、本著をお読み頂きたい。

 なにしろ、スバル360スバル1000 の開発に携わり、あの 東北電力の要請から誕生した 現在の 「シンメトリカルAWD」 の始祖、スバル1300Gバン4WD のまさしく 「生みの親」であり、MP-T(マルチプレートトランスファー)、VTD-4WD(バリアブルトルクディストリビューション4WD)など、今日に至る スバルAWDシステム の発展は、この方抜きに語れないのだから。

図説・四輪駆動車 -322点の図・写真で綴る4WDの技術と発展史
US MOTOR TREND Classic 1978 SUBARU BRAT

それにしても、後部座席を装着したところで、ピックアップトラックには変わりないし、後面衝突の際の荷台シートの乗員の安全性を考えれば、とても現在ではこうしたパッケージングは認められないだろう。

 だが、そうしたことこそ、かつて日本人が憧れた 「自由でおおらかなアメリカ」 という時代の象徴であり、また、その時代を生きた ブラット というクルマの魅力そのものなのである。

Motor Trend Classics 1978 Subaru Brat

30年も 「納車」 を夢見て、待ち続けてきたクルマである。だから発注する ボディカラー は、もう30年前に決まっていた。そして、それをついに口にできる日が来たのだ。

 私はキットを前に、心の中のスバル・ディーラーの担当者におもむろに口を開いた。


 「パラマウントレッドでお願いします。」


 パラマウントレッド!!! なんと素敵な響きだろう!

 「パラマウントレッド」とは、1977年4月、初代レオーネ である A型レオーネ が、A2/A6型 から 50mm 拡幅されて、A3/A6型へ ビッグマイナーチェンジ で移行した際に設定されたボディカラーだ。

 ハードトップGFT、スーパーツーリング、そして クーペRX、といえば・・・そう、シリーズ中でも ツインキャブエンジン搭載車のみが選べた、スバリスト にとっては 「特別な」 ボディカラーなのである。

 スバリスト という 「人種」 は、「ツインカム」 より 「ツインキャブ」 という言葉により敏感に反応する。

 1970年代の排気ガス規制が本格化した時代、「5,000rpm しか回らないくせに 「ツインカム」 だとさ。」 と、スバリスト はせせら笑っていたものだ。

 1970年代後半の他社のスポーティカーなんて、OHV である EA71 より、全然回らないし、そのためにパワーを稼ぐことができずに遅いし、ゴテゴテと追加された公害対策の補機のために 燃費 も ドライバビリティ もお粗末なもんだった。

 だから当時、評論家 や 専門誌 が EA型エンジン を OHV であること 「だけ」 を理由にコキおろしたところで、別に感じるところはなかった。

昭和52年5月発行 スバル フルラインナップ カタログ
昭和52年3月発行 NEW レオーネ カタログ(1)
昭和52年3月発行 NEW レオーネ カタログ(2)

「モノ書き」 とは、書いたものを買ってもらうことで生計を立てている人のことをいう。書いたものを買ってもらうには 「お客様」 の気に入るように書かなければ買ってはもらえないからね(笑)。

 ちょっと前の話だが、某親方評論家 が、EA のことを指して 「ダメダメでした」 などとほざいていたが、私に言わせれば、ハッキリいってあんたこそ 「ダメダメ」 だよ。

1978年9月初版 山海堂 「四輪駆動車とFF車のドライビングテクニック」

その 「パラマウントレッド」 が、1978年7月の レオーネ シリーズ のマイナーチェンジで、レオーネ 4ドアセダン4WD でも注文生産色 として設定された。

 当時の レオーネ4WD のTVCF では、この パラマウントレッド のレオーネ4ドアセダン4WD が深い雪をラッセルして突き進むシーンが、 「雪に強い!レオーネ4WD!」というナレーションとともに流れていた。

 もっとも、流れていたのは、日曜日放送の当時唯一の 富士重工業 冠スポンサー番組、「オーケストラがやってきた」 だけだったかも知れないが・・・(涙)。

 当時、近所の、グレイシャスブラウンの A22型 レオーネ4ドアセダン カスタム に乗っていた家が、ある日行ってみると、なんとこの パラマウントレッド の 4ドアセダン4WD に乗り換えていた。

 ひと際高い車高、フロントの黄色いフォグランプ、5マイルバンパー、「4WD」 とドでかくレタリングの入った リヤスプラッシュボード、そしてとどめは陽光に輝くパラマウントレッド!

私はもう魂を奪われた。ポルシェ930ターボ も ランボルギーニ カウンタックLP500S ウォルターウルフ も、フェラーリ365BB もお呼びではなかった。

 ウチは前の年にようやく チョコレートブラウン の A32 レオーネ 4ドアセダン1400GL に乗り換えたばかりだというのに! どうして同じ レオーネ でこうも違うのか?世の中にこんなムゴい仕打ちがあっていいものなのか?親父に嘆き続けたものだ(笑)。

 その甲斐あって、2年後には、めでたく グリークホワイト の AB5 レオーネ4ドアセダン4WD がウチの車庫に鎮座することになった。しかし、翌年6月のビッグマイナーチェンジで、角目4灯のフロントグリル、全面モケット生地のシート(しかもリヤは スバルff-1スーパーツーリング 以来の センターアームレスト付)、タコメーター付のツーリングタイプインストルメントパネルが標準装備になって、今度はふたりで嘆き合う羽目に陥ってしまうのだが・・・(涙)。

 ま、そんなことはどうでもいい(怒)。パラマウントレッドである。

 明るい光に パキッ と映えて、日が翳るとノーブルな表情を見せる、ソリッドのボディカラーではこういう味わいを持った色は他にはない。

 自動車を生業として、いろいろなクルマに接してきた現在でも、その思いは変わらない。

AMT 1/25 スバル ブラット(1)

端から決まっていたボディカラーに対して、トリムカラーはちょっと迷った。

 当時の北米向けカタログを見る限り、ブラット のトリムカラー は、1978年79年モデルでは、国内向け クーペ系 と同じ ブラック で、1980年モデル では、GL と DL にグレードが分かれて、GL が ブラック、DL が 濃いカーキということになるようだ。

 よし、ここはウチの A32 レオーネ に敬意を表して、チョコレートブラウン にしよう。

ところで、A型レオーネ ベース ブラット の最終年度である 1981年モデル では、GL / DL とも、A3 / A6型時代には設定がなく、国内向け AB系レオーネ で 4ドアセダン / ハードトップ 1.8 GTS のみに設定されたものと同成形色と思われる ブルートリム となっている。

 さらに諸元表を見ると、A型レオーネ ボディ のまま 1,781t の EA81型 に換装され、しかも驚くべきことに、GL には 副変速機 デュアルレンジ まで組み合わされたということになっている。

 私は首を傾げた。

 翌年にモデルチェンジを控えた、モデル末期の ブラット のために、果たしてホントにそんなことまでやるもんだろうか?

右の画像がその 1981年モデル ブラットGL のシフトレバー と セレクター で、これを見ると、確かに 前部ピボット の セレクターレバー の一番上が FF、中間が 4WD-Hi、一番下が 4WD-Lo となっている。

 うわ〜!ホントだ!A型レオーネ の デュアルレンジ じゃん!

 AB型レオーネ4WD の デュアルレンジ の セレクター は後ろピボットの一番下から FF → 4WD-Hi → 4WD-Lo の順になっている。

 押し下げる方向と、引き上げる方向 ----- なるほど、リンケージ の動く方向は一緒 ----- そりゃそうだ。だから 新規部品製作なしで デュアルレンジ化 できた訳である。

 へぇ!ホントにやってたんだねぇ〜!

AMT 1/25 スバル ブラット(1)

ブラット の 「命」 である、クォーターピラーから後ろのディティール。ここは AMT に心から感謝しなければならない。

 このキットが 「傑作」 として語り継がれる理由も納得できる。

 クォーターパネル裏の荷台側インナーパネルとフロアに入ったプレスラインの美しく繊細な再現性と正確さ、そして、例の 樹脂製 のリヤシート のヘッドレストには、大きく六連星 が型押しされていたとは、実は恥ずかしながら知らなかったし、その両座席に設けられた アシストグリップ の形状も、製作しながらしきりに感心した。

AMT 1/25 スバル ブラット

リヤゲートの 「あおり」 に 「BRAT」 と 「4WHEEL DRIVE」 のオーナメントが再現されていないのは少し寂しい気もするが、それは熱転写プリンターがあれば、デカールで再現するのは現在では簡単なことだ。

 それより、どうだろう、このリヤスタイルのなんと伸びやかで優美なこと。

クォーターピラーカバーは、おそらく ブラック というのが正解だが、ここも ウチの A32 レオーネ に敬意を表して 濃いガンメタリック仕上げとしてみた。

 ちなみに、別掲の室内写真でも確認することはできないが、シフトレバーとその前に位置する FF/4WD切り替えレバー もちゃんと再現されているのは スバリスト にとっては感涙ものだ。

 チョコレートブラウンのトリムというのも、実際に設定はあったのだが、きちんと A3/A6型レオーネ の雰囲気を伝えている。

AMT 1/25 スバル ブラット

それよりなにより嬉しいのが、ボンネットフードを開けると、そこに EA71 が鎮座していることで、タンデムマスターシリンダー、ジャッキとクランク、レギュレーター、バッテリー、ウォッシャータンク、ラジエターなども簡潔にだが見事に再現されている。

AMT 1/25 スバル ブラット

ここで 「スペアタイヤがないじゃん」 などという野暮な突っ込みは NG だ。

 ここまで AMT が再現してくれたのだから、ここから先のディティールの作り込みは、このキットを手にしたモデラーの責任である。

 今回は AMT に敬意を表して、できる限りストレート組みを心がけたが、そうした部分をこれから手を加えていく楽しみがあるというのもプラスティックモデルならではである。

 ダイキャスト製のミニチュアカーでは大掛かりな改修なんてやる気にもならない。

 良いキットは例外なく、際限なく手を加えたくなる魅力を持っている。それは 日本模型 1/20 富士 FA-200 エアロスバル などもそうだが、やはり作り手がどこまで本気になって、情熱を込めて作ったかが手のひらを通して伝わってくるからだと思う。

 だから、こういうこともできるのだ。

これが A3/A6型レオーネ4WD のパワー / ドライブトレインだ。

 40年 スバリスト をやってきて、こんなもの見たのは初めてである。

 いや、そりゃ、各部分の パーツ、パーツ にバラした状態のものは数え切れないほど見てきましたけど、その各部分は ボディモノコック に取り付いて成立している訳で、実際にこれはやろうと思ってもできない。

 っていうか、やってどうすんの?

 私の記憶でも、富士重工業 さえ、こうしたオフィシャルフォトは製作していないと思う。

 これは確かに EA71 だ。

 手を加えたのは、クランクプーリー下に位置する オイルポンプ と オイルフィルター の形が今ひとつはっきり出ていなかったので自作。また、ディストリビューター 〜 プラグ間のハイテンションコードと、タペットカバー から ブローバイガスをエアクリーナーへ還流する ホース を繋いだことの 3点だけ。

 今後の手直しで、シリンダーブロック側面の ピストンピン を抜くための サービスホール を追加するつもりだが、この EA71 だけでも スバリスト なら悶絶してしまうのではないだろうか。

 その後ろの トランスミッション 前部上方 に取り付いた スターターモーター、トランスミッション、後輪に駆動トルクを配分するトランスファー、その後ろの長い エクステンションケース!

 この長い エクステンションケース を採用したのにはちゃんと理由があって、前と後ろが カルダンジョイント(十字継手) で繋がれた 2ジョイント の長い プロペラシャフト では、トルク変動時や高速回転時に振動と騒音が出やすい。だから当時の 富士重工業 の技術陣 は、プロペラシャフト の長さを極力詰めるためにこういう構造を取ったのだ。

 フロントのクロスメンバーと左右ストラットに伸びるトランスバースリンクのピボットは、実際より嵩上げはしてあるけれど、後ろのミッションメンバーから前方に伸びる リーディングロッド と スタビライザーの形状まで、まったく実車そのままである。

 リヤに目を転じれば、スバル1300G 以来継承してきた セミトレーリングアーム の リヤサスペンション の構造、リヤデファレンシャルマウント、そして ブルーバード510 から流用のリヤデフ の入力フランジが少し右にオフセットした独特の形状、そして、この A3/A6型レオーネ4WD から、ボールスプラインに代えて、D.O.J をインナージョイントに採用したリヤドライブシャフト!

 まさに圧巻である。脱帽だ。この時代に、A型レオーネ をここまで見てくれていた人がいたのだ。

1998年12月発行 レガシィB4 のカタログ掲載の俯瞰図と並べてみる。

 この両者の間には、実に 20年 もの時間が流れている。しかし スバル は何も変わらない。

 「変わらない」 ということは、一聞 「技術開発をサボっている」 と思えるかも知れない。だが、ブラット のメカニカル・レイアウト は、1965年発表 の スバル1000 まで時代を遡ることができるし、レガシィB4 は、今さらいうまでもなく、BM/BRレガシィをはじめとする 現在の スバル の 水平対向エンジン搭載車 とほとんど変わるところがない。

 つまり、1965年 からこっち 48年間、スバル のメカニカル・レイアウトの基本は何も変わっていないのだ。

 その間に、クルマを取り巻く周囲の環境はまったく変わった。

 1958年に スバル360 が発売された頃は、未舗装で穴だらけだった日本の道路は、津々浦々まで舗装が行き届いて、より高速でクルマで移動することが可能になった。

 そうなれば、高速での外乱要素に鈍感で、部品点数も少なく低コストな 前輪駆動車 の方がいいに決まっている。それに、ドライブトレインそのものが バネ下重量 になる リジッドアクスル + 縦置きリーフスプリング より 独立懸架 の方がいいですよね。

 じゃあ、なぜ最初からそうしなかったのか?

衝突安全基準も 1970年代に入って以来、厳しくなるばかりだ。前面衝突だけに限ってみても、現在では 時速60km/h からのフルラップ衝突で、キャビンが少しでも変形するようなクルマは論外だ。さらに 1/2 オフセット衝突、そして 現在では フロント の 運転席側 1/4 を 同じ速度でぶつけて クルマは乗員を守れなければならない。

 ここで、直列6気筒エンジン は一気に世界的に 「絶滅危惧種」 になった。フロントのクラッシュストロークが長く取れないからだ。

2013 Crash Test Subaru Legacy IIHS Small Overlap Test

取って代わったのが V型6気筒エンジンだ。これならエンジン全長が短くてクラッシュストロークが長く取れますから。

 じゃあ、なぜ最初からそうしなかったのか?

 「変わらない」 ということは、変える必然性が生じないから 「変わらない」 訳で、目先の法規制への対応を迫られてから、その度毎に、場当たり的に、ころころメカニカル・パッケージを変えるというのは、クルマのエンジニアリングの本筋を突いていない。

 物理の法則は人間の英知ごときで覆せるものではない。

 だから、50年「変わらず」、同じものを作り続けられるということは ----- 殊更、クルマの世界では ----- そのスタートからきちんとクルマのエンジニアリングの本筋を突けていた、ということなのだ。

 「変わらない」 ということ ---- それはスゴいことなのだ。

その パワー / ドライブトレイン を シャシー にドッキングすると、さすがに時代を感じる。

 片バンク 1ポート のエキゾーストマニホールドの後ろには、まだ 「触媒」 なんてものは存在しない。

 「レオーネの秘密が分かるかね?明智君。スバル の エンジン は SEEC-T だよ、SEEC-T!ア〜〜ハッハッハッハッ・・・」 という訳である(笑)。

 ブラット では、リヤデフ上のフロアからフューエルタンクを吊り下げていたのね。へぇ〜。

 ちょっと見づらいかもしれないが、顎下まで回り込んだ フロントエプロン の下端から、フロントクロスメンバー までを保護する 小振りなアンダーガード は、この A3/A6型レオーネ4WD から新たに標準装備となったもので、形状も忠実に再現されていて嬉しい。

上からハイライトを当ててみる。モデラー至福の時だ。

 そう、パラマウントレッド。これを 30年間 待ち続けていたんだよね。ようやく君を迎え入れることができて、私は本当に幸せだ。

 ちなみに、今回 パラマウントレッド を再現するに当たって、エアブラシ用に何度も色を調合してプラ板に吹いてみたのだが、どうにも私の中にある 「パラマウントレッド」 のイメージに合わなくて、実のところ途方に暮れていたのだが、ヨドバシカメラ博多 のホビーコーナー を何の気なしに覗いてみたら、クレオス の Mr.カラースプレー 108番 「キャラクターレッド」(半光沢) なるものが出ていて、なんとなくイメージと重なりそうな予感がした。

 吹いてみると、若干明るめだが、研ぎ出しをしながら、重ね塗りをして、最後にクリヤーを掛ければ、半光沢の場合、先述の 「若干」 分、トーンが落ちると読んで作業に掛かった。

 結果はご覧の通り。私自身は非常に満足である。

おそらく、スバリスト の方なら、ブラット のチャームポイントのひとつである クォーターピラー から テール へ伸びる、ステッカーが今回の作例で貼付していないことを寂しく感じていることだろう。

 キットには、もちろんその ステッカー も デカール として付属している。

 しかもなんと、「ブラット坊や」 のステッカーまで 「おまけ」 として付いている。

貼付していないのは、当然 「貼れなかったから」 である。

 私自身、古いキットのデカールが使い物になるとは、今までの経験からいっても、正直期待はしていなかった。

 だが、稀に使い物になることもあるのだ。私はそっちに賭けた。

 結果は左の写真の通り、見事に砕け散ってしまった。

残念な結果に終わってしまったが、だからこうした古いキットは、できるだけスペアを確保した上で製作したいと思っている。

 これから製作をされる方は、デカールは 100% 使用不可だということを肝に銘じて取り掛かって頂きたいと思う。私もスペースの事情から仕舞い込んでいる熱転写プリンターを引っ張り出して、改めてデカールを作り直すつもりだ。

 デカールのスキャンは、そのスペアの方から取ったもので、寸法はシート上下の長辺が 75mm である。

パッケージは、腰のないボール紙で、タテ × ヨコ の寸法は国産プラスティックモデルのそれと比べて随分小振りだが、高さだけはその2倍はあるという、今も昔も変わらないアメリカキットの流儀である。ちなみに、新品の状態ではこれにシュリンクが掛かっているので、中身を確認することはできない。また、シュリンクのために箱が大体の場合変形しているのも 「お約束」 といったところだ。

 でもホントにカッコいいよねぇ。思い切〜〜〜りいぃ〜〜アメリカああぁぁぁ〜〜〜ン♪ って感じ。

ブラット について、「この スポーティな4WD ブラット は、早くもピックアップ・シーンの強力な競争相手になっている。約973kgの軽い車体で、1600cc、65hpのアルミ製エンジンと4速トランスミッション、”フレッシュエア”バケットシートを装備している。ブラットがユニークな点はたくさんあるが、そのひとつは、いつもは前輪駆動だが、四輪駆動にもなるということだ。理想的な ブラット の駆動系のセットアップと、カスタム、オフロードオプションで、このクラスに手ごわいライバルが登場した。」とある。

このキットは、ストック と カスタム に コンバージョン可能であることがひとつの 「売り」 で、上が ストックバージョン、右が カスタムバージョン となっている。

 違いはフロントバンパーで、このカスタムバージョン の フロントバンパー は当時、S.O.A(スバル・オブ・アメリカ) が実際に純正オプションとして設定したものを忠実に再現している。

 しかし 「対象年齢10歳以上」 とは・・・。かなり難易度の高いキットだと思うのだが。

パーツ同士の 「合い」 は決して悪くないのだけど、組み上げたパートをドッキングさせようとすると齟齬が出てきてしまうような印象で、また、この時代のフルディティールのキットの宿命として、点接着、線接着が必要な箇所も多く、強度的に不安がある。

 組み立て説明書もお世辞にも親切なものとはいえないので、組み立てに掛かる前に、説明書とパーツを身ながら、補強、修正が必要な箇所をどうするのかということも含めて、自分の頭の中で組み上げていくイメージを練り上げておいた方がいい。

 日東化学 の レックスコンビ と比較しても、個人的には、難易度はかなり高いと思う。

 だからこそ楽しいんだけどね。

 そうそう、今回の製作は本当に楽しかった。細かい当時の仕様については少しばかり資料を確認したが、それ以外は確認するまでもなかった。実車のディティールの細かい仕上げまで、記憶として驚くほど正確に頭の中に畳み込まれていたからだ。

 そして、それを 「楽しい」 と感じさせてくれたのは、当時の AMT = マッチボックス の職人たちが、丹精込めてこのキットを世に送り出しておいてくれたからだ。

 スバリスト として、本当に心から感謝したい。

 「私はあなたたちの手の温もりをいつまでも忘れませんよ。」という言葉を添えて。

BMレガシィB4 2.5GT と スバル ブラット

ミニチュアカーTOPへ