LEGACY OUTBACK

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT パールホワイト・マイカ

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(1)

今回は、ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT を紹介。

 2013年後半から今年にかけての1年は、富士重工業 にとっても、我々 スバリスト にとっても、慌ただしく目まぐるしい1年だった。

 2013年 第43回 東京モーターショー での レヴォーグ の発表に始まり、その翌日、海の向こうの ロサンゼルス オート ショー で、VAG型 WRX がワールドプレミア。さらに年が明けて、1月 の デトロイト オート ショー で、VAB型 WRX STI をワールドプレミア。翌月 2月、シカゴ オート ショー で、BN型 レガシィB4(北米名は レガシィ) のワールドプレミア。そして 4月 のニューヨーク オート ショー で、名実ともに、現在の スバル の フラッグシップ である BS型 アウトバック がワールドプレミアを迎えた。

 遠く離れた地での ワールドプレミア を、自宅の PC の前に居ながらにして、まさにリアルタイムで目の当たりにすることができる、ということは、一世代前の BM / BR型レガシィ、GE / GH型インプレッサ、SH型フォレスター の時代では考えられなかったことだ。

 また、発売までのプロモーションやメディア対応、さらに発売以降のアメリカを中心としたメディアの反応をリアルタイムで追っ掛けられるということも、非常に新鮮な体験だった。

 背伸びをせずに、これまで培ってきた スバル というブランドの 「価値」 を、手堅くしっかりと磨き上げる手法は、Web というグローバルな環境から、私の許に届く人々の声からも、とても好感を持って迎えられていることが分かる。

 一方、そうは思っていない人もいる。某セレブ系老舗自動車専門誌 の web版 で、山田弘樹 氏 というライターの WRX STI と フォレスターts の記事が載っていた。

 実は私はこの 1か月、2010年型 アウディS4 に乗っていた。別に突然 セレブ になって心変わりした訳ではない。相変わらずの 「貧乏暇なし」 である。いわゆる 「玉転がし」 だ。

 良いクルマである。今どき軽自動車だって 「買うのはやめた方がいい」 というクルマはあんまりない。私は現在、スバル を 14台 持っていて、まだ死ぬまでに乗りたい スバル はたくさんあるが、アウディ というメーカー の クルマ を 「自分のクルマ」 として欲しいと思ったことも、そういう気持ちで持ったことも、産まれてこの方一度もない。

 私は アウディ など、所詮、二番煎じのお茶漬けメーカー としか考えていないからだ。

 山田氏 は アウディS4 に 900万円の 価値があると考えている。私には 900万円 に、もっと別の使い道がある。個人の価値観を比べることほど無意味で愚かなことはない。

 ただ、あなたがこれから スバル についての批評を書く時には、二枚舌、ダブルスタンダード で、私が愛する WRX STI をコキおろしたこと、我々 スバリスト を、ため口で 「ガキ」 呼ばわりしたこと、そして、私が 山田氏 に対して 「地獄に落ちろ。」 と率直に感じていることを忘れないでもらいたい。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(2)

作り手がいて、モノ があり、私がいる。

 作り手の価値観、私の価値観との間で共有できるものが多ければ多いほど、その 「モノ」 は魅力的に感じる。価格と価値が見合えば、きっと手に入れたいと思うだろう。

 私自身でいえば、毎日、右から左に有象無象のクルマたちが流れていく生活の中で、それでも私が スバル を選ぶのは、私が 40年、富士重工業 と、あるいは スバル のクルマを通じて共有してきたものがあまりにも多すぎるからだ。

 気に食わないことも、理解に苦しむことも、まあ、なかった訳ではない・・・というか、数え上げたらキリがないので、そのうち忘れてしまう、というのが言葉として正しいのかも知れないが、少なくとも 富士重工業 が 我々ユーザー をあからさまに蔑ろにしたことはないし、 人並みに苦労して、自分の頭で考えて、自分の手で スバル に触れて、富士重工業 という組織の人々が送り出してきた スバル というクルマたちを通じて共有してきたものは、やはり 他のメーカーのクルマにポンと飛び乗って感じるものより、深く、重いものがある。

 比較論でクルマを選ぶにしても、苦労して稼いだ自分のカネをはたいて買うのだから、結局、 大なり小なり、そのメーカーやクルマに対する 個人的な 「思い入れ」 が購入判断の 「最後の決め手」 となることが多いものである。

だが、そういう 比較が難しい 個人的主観 とは対照的に、客観的に比較可能なデータとして出てしまうものもある。

 例えば 衝突安全性。

 特に世界で最も厳しい、スモール オーバーラップ クラッシュ テスト の項目がある、IIHS (アメリカ 道路安全保険協会) の 衝突試験 は、付け刃的な対策ではどうにもならない。

 GJ /GP型インプレッサ、SJ型フォレスター と Good (優) 評価を獲得してきた スバル の衝突安全の技術がどれだけ体系的なものになっているのか、新型レガシィ の IIHS によるテストが非常に気掛かりだった。

 スバル のフラッグシップとして、そして、私自身、世界中のどんなクルマより深い思い入れを持って語ることができる レガシィ には、パーフェクト、それもすべての数値で余裕をもって、IIHS の衝突試験をクリアして欲しい、またそうでなければならないと感じていた。

2014 Subaru Impreza small overlap IIHS crash test.012
2014 Subaru Impreza small overlap
2014 Subaru Forester small overlap IIHS crash test
2014 Subaru Forester small overlap

ここで、アメリカにおける衝突安全について少し触れておくと、アメリカ連邦法に基づいて、アメリカで販売される自動車行政全般を司るのは、連邦機関である NHTSA (国家道路交通安全局) であり、IIHS (道路安全保険協会) は、アメリカの保険業界が、安全性によって車種毎に最適な保険料率を設定するための評価基準担保のために設立した 非営利団体 で、IIHS のテスト結果が悪かったからといって、販売中止に追い込まれるようなことはないが、ユーザーにとって大切な自動車保険の料率決定には大きな影響を与える。

 例えば、アメリカ で オープンカー の保険料はとても割高だ。IIHS でも衝突試験を行っている車種は片手で数えられるほどに過ぎないし、スモールオーバーラップ衝突試験は行われていない。屋根がない分、クローズドボディのクルマと比べて衝突安全性に劣ることが分かり切っているからだ。

 だから、メーカーはあえて IIHS に 衝突試験 の免除を申し出るらしい。「グレーペーパー」 と呼ぶそうだが、安全性が担保できない以上、保険会社としても、どうしても乗りたいという人には、「万一の際の結果は自己責任で」 と言うしかない。安全性が低いクルマについても同様である。

 メーカーにとっては、ライバルとの安全性がはっきりと結果として示されてしまうだけに、グローバル競争が激化する現在、この厳しい衝突試験でもしっかりと結果を出せなければ話にならない。

 行われる 試験項目 は、前面モデレートオフセット(50%)衝突、前面スモールオフセット(25%)衝突、側面衝突、屋根強度、シート・ヘッドレストの 5項目 の 衝突試験 で 総合評価で Acceptable(可) 以上の評価を獲得した上で、前面衝突予防性能試験 で、衝突警報(1ポイント) 以上の獲得が、最高の衝突安全性能を証明する トップセイフティピック + 獲得の最低条件となっている。

なぜ、IIHS の行う スモールオーバーラップ衝突試験 への対応が難しいのだろうか?

 まず、物理的な面から考えてみると、現在のグローバルで展開されているクルマの 全幅 は、一般的に 1,700mm 〜 1,900mm の間であることが多いから、その 25% といえば、425mm 〜 475mm ということになる。

 装着される タイヤ の幅は 200mm 〜 270o 程度で、転舵した際にタイヤとフレームとの干渉を避けるために、その間隔を 200mm程度 確保しておかなければならない。

2015 Subaru Legacy small overlap IIHS crash test

つまり、一般的な構造を持った クルマ の、タイヤハウス 部分の横方向の寸法だけで、スモールオーバーラップ衝突 の 「全幅の25%」 という数値に達してしまうことが分かる。フルラップ(100%)、モデレート(50%)衝突時には、しっかりと衝撃を受け止め、緩和してくれる フレーム に頼ることはできないのだ。

 それを前提に、右上のクルマのフロントセクションのホワイトボディの構成図を見てみると、実はクルマというものの構造上、タイヤハウス の前には スモールオフセット衝突 に備えた構造体をきわめて設置しにくいことが分かるはずだ。

 例えば、フロントバンパーを横方向に延長して、その端から フレーム と結合する 「筋かい」を入れれば、今度はステアリングが切れなくなるし、フロントフェンダー・アッパーフレーム と フロントバンパー を結合しても、タイヤを貫通して ドアヒンジ・ピラー下部 と フロントバンパー を フレーム で剛結合することはできないから、構造体としては不安定で、大した強度は稼げない。そうすると、スモールオーバーラップ衝突 のエネルギーを受け持つ主な構造体は、図中の赤く塗った部分だけ、ということになる。

 実は、スモールオーバーラップ衝突試験 を受けるすべてのメーカーのすべてのクルマのフロント部分の構造は、この図で示したものとほぼ変わらない。だから、搭載エンジンなどによる 有利・不利 は一切ない。

 だから、少ない構造体にしっかりと強度を持たせて、衝突の衝撃を吸収しながら、キャビンの中の乗員に過大な加速度が掛からないようにする、衝突安全 に関する 体系的 な 技術的蓄積 をそのクルマのメーカーが 持っているかどうか が明らかになる訳だ。

 新型レガシィ が登場した 2014年8月の時点で、この IIHS が実施する衝突試験のすべての項目で パーフェクト の成績を収めている車種は、わずか 3車種 に過ぎなかった。

 車種名を挙げておくと、ボルボXC60アキュラMDX、そして スバル フォレスターである。このうち、前面衝突予防性能で、対停止車両で 12mph(約19.3km/h)、25mph(約40km/h)からの自動停止、障害物感知の際の警報機能 も含めて パーフェクト だったのは、フォレスター だけだった。

 つまり、SJ型フォレスター は、世界で初めて、IIHS の実施するすべての衝突試験の項目で パーフェクト を達成した クルマ なのだ。あなたが フォレスター のオーナーなら、あなたは世界一安全な SUV に乗っているということになる。これは心から誇っていい事実だ。

 ちなみに、GJ / GP型インプレッサVA型 WRX は、最高評価である Good(優)を獲得したのだが、ほんのわずかのところでパーフェクトを逃している。しかし、アメリカで販売される Cセグメント の自動車では、ダントツの衝突安全性を誇っている、と書けば、ライバルがどういうレベルにあるのか理解してもらえると思う。

 GJ / GP型インプレッサ、XVクロストレック の 2015年モデル も EyeSight を新設定することで トップセイフティピック + に格上げとなり、WRX も、EyeSight が装備されれば、確実に トップセイフティピック + が獲得できる位置にいる。

 ひとつのメーカーのすべての車種で、IIHS トップセイフティピック、トップセイフティピック + を獲得しているメーカーは スバル だけだ。スバリスト として、そのことだけでも大いに誇らしいが、それ以上に嬉しいのは、スバル の衝突安全技術が体系的な厚みを伴って、すでに確立されているという事実だ。

2015 Subaru Legacy small overlap IIHS crash test

7月初旬、アメリカ で、新型レガシィ / アウトバック のデリバリーが始まった。

 IIHS が レガシィ を衝突試験に供するまでには、1か月以上の時間が必要だった。かなりの初期受注が入っていただけに、車両を確保するだけでも大変だったに違いない。

 来る日も来る日も、暇さえあれば動画共有サイトの IIHS の新着を緊張しながらチェックする日々が続いた。

2014年 8月 19日、IIHS は レガシィ の 衝突試験 の 動画 とその結果を公表した。

 緊張に震えながら、サムネイルをクリックする ----- お願いだ。頼むぞ。

 長い誘導路から現れた クリスタルホワイト・パール の レガシィ 2.5i が、眩い照明にキラリとボディを光らせた次の瞬間、グシャッ! という鈍い衝突音とともにオフセットバリアに激しくフロントセクションを潰しながら衝突し、わずかに浮いたリヤをゆっくりと右に 90度 回しながらバリアから少し離れて動かなくなった。

命あるものが、生の営みを止める瞬間ほど、厳かで悲しく、寂しいものはない。

 この瞬間、レガシィ は主である ダミー を自らの体を張って守り、果てていったのだ。

 彼の 「生の証」 の残像を目に焼き付けるために、何度も何度も食い入るように、繰り返し動画を見た。

 凄い。日常をはるかに超越した衝撃をふわりと受け止めて和らげ、乗員の生存スペースを完璧に守り通している。

2015 Subaru Legacy small overlap IIHS crash test

この動画共有サイト では、左下の 「もっと見る」 ボタン を押すと出てくる リンク から、IIHS の HP のその車種の、試験の際のすべての詳細な計測データとともに、結果を公開しているページにジャンプすることができる。

 このページから、各衝突試験 の 個別の 部位評価、計測数値 は、左下にある、それぞれの衝突試験の項目のタブをクリックして開くことのできる 「Test detail(試験の詳細)」、「Technical measurements(技術的計測数値)」 の項目から確認することができる。もちろん英語だが、右クリックで「日本語に翻訳」 ができるブラウザなら、読むのは簡単だ。

 結構 「見苦しい対応」 をしているメーカーもたくさんあって、読んでいるとなかなか面白い。この 各衝突試験 の 個別の 部位評価 まで、すべて Good(優) を取れていれば、そのクルマは IIHS の 衝突試験 を パーフェクト でクリアしたことになる。

 IIHS のテストはとても合理的で、公開される各項目の 客観的数値 と対比して 評価 が下されるだけに、恣意性の入り込む余地はほぼないし、すべてのメーカーに対して フェアな 評価方法だと思う。こういう点は、日本の JNCAP は、テスト項目も含めて、残念ながらまだ恣意性の入り込む余地はあまりにも多過ぎるし、ユーロNCAP も JNCAP ほどではないにしろ、恣意性の入り込む余地がある。客観的数値が公開されない部分が結構あるからだ。

 また、Web としての見やすさという点でも、IIHS が一番優れている。ユーロNCAP は、各項目へのリンクが猥雑で、なぜ ユーロNCAP がそういう評価を下したのかが分かりづらく、各ページも余計な CGI が動いているのか、なぜか重い。やはり各項目毎にページを設ける方が、低スペックの PC、回線速度が確保できない携帯端末で見る人もいるのだから、もう少し各ページの構成を軽くする 「気遣い」 が欲しい。

 ところで、今回、IIHS の行った衝突試験で、新型レガシィ のすべての傷害値レベルはごく低く、しかも一部が突出することもなく非常に均一に収まっている。もちろん、全項目パーフェクト、Dセグメント では世界で最も衝突安全性に優れたクルマであるばかりか、その上の Eセグメント の世界中のクルマたちと比較しても、IIHS の衝突試験で レガシィ を上回る成績を収めているクルマはない。

 「世界で最も安全なクルマ」 といって差し支えないだろう。

 直近のテストで、さらに 2台 の 全項目パーフェクト を達成したクルマが現れた。クライスラー200ヒュンダイ ジェネシス だ。特に レガシィ の上の Eセグメント に属する ヒュンダイ ジェネシス は、部分的に レガシィ より衝突試験項目の傷害値レベルでわずかに劣るものの、前面衝突予防性能 でも 最高評価 Superior(優) を獲得しての トップセイフティピック + 入りだけに価値のある結果だ。

 一方、芳しい成績が残せていないのが、ドイツ車 だ。

 衝突試験 の結果は、そのクルマ毎に語るべきもので、メーカー、国籍で括れるものではないと思う。ただ、縦軸の セグメント 毎に潰れ方があまりに違い過ぎたり、乗員が受ける 傷害値、重度損傷部位 があまりに バラバラ だと、その メーカー は 衝突安全 に対する 体系的技術 の蓄積が足りないと誰にでも分かる。

 それが、メーカー という 「枠」 どころか、国籍で括れてしまうところに ドイツ車 の問題がある。

2012 Audi A4 small overlap IIHS crash test.012

スモールオフセット衝突試験後、アウディA4 はドアが開き、フォルクスワーゲン CC に至っては、ドアが外れた。

 これは、 衝突試験 の 「結果以前」 の問題だ。

 アウディS4 は、この A4 のバージョンアップ版だ。ボディ強度は、ボディ剛性と割と密接な関係にある。

 どうしてここまで アウディ・VW が脆弱なのかというと答えは簡単で、日本 や アメリカ 以上に 中国 という新興市場が ターゲット だからである。

 何のことはない。彼らは彼らなりにきちんと 「バランスを取っている」 訳だ。

 「1960年代から実地に事故現場を検証して、リアルワールドの衝突安全性を高めてきた」という、世界で初めてガソリン自動車を作った メーカーの 「主張」 は、単なる口頭だけのパフォーマンスだったのか、と問い質してみたくもなる。

2012 Audi A4 small overlap
2012 Volkswagen CC small overlap IIHS crash test
2012 Volkswagen CC small overlap

最近の ドイツ車 に乗ってみて、メカニックの立場で触れてみて思うのは、表面的な目新しさやエンジンスペック、限られた場面での動力性能、インテリアトリムやインシュレーター、防振材に驚くほどカネを掛けているのは理解できても、クルマの基本的な本質部分が、かなり疎かになり始めているのではないか、ということだ。

 まあ、余計なお世話かも知れない。彼らには彼らなりのポリシーがあるのだろう。

 件の 山田氏 は 「衝突安全性など、クルマを選ぶ際の大した価値基準にはならない。」と言い切れるだろうか。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(3)ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(5)
ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(4)ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(6)

という訳で、今回の BF5 レガシィ ツーリングワゴンGT は、バージニア州 アーリントン の IIHS テストセンター に散った クリスタルホワイト・パール の レガシィ 2.5i への、私自身の、心からの オマージュ を込めて、パールホワイト・マイカ である。

 この慌ただしかった 1年 を振り返って、スバリスト として経験した、「始まりと終わり」 を語る上で、どうしても BF5 を自分の手で、心を込めて仕上げて締め括りたいと思った。

 私は、技術とは磨くことによってのみ進歩するものだと思っている。

 「レガシィ とは何か?」、「レヴォーグ とは何か?」というテーマを、今回、富士重工業 の技術者たち は、深く深く考え続けただろう。それは、我々 スバリスト も同じだった。

 きっと偉大な 「始まり」 は、「何か」 を教えてくれるに違いない。

1989年5月発行 レガシィ ツーリングワゴン カタログ

今さら、ではあるが、折角なので、今一度、しっかりと振り返っておきたいと思う。

 初代 BC / BF型レガシィ は 1989年 1月 24日 に発表、翌 2月 1日 に発売された。バブル景気の真っただ中にも関わらず、初期受注は 4,000台 程度とパッとしないものだったと記憶している。

 シリーズ中唯一、4カム16バルブターボ EJ20G を搭載する、走りのトップグレード RS、セダン / ツーリングワゴン 2.0VZ を頂点に、それぞれ 2.0L、1.8Lエンジンを展開して、シリーズを構成した。

 従来、レオーネ に展開されていた 商用 エステートバン を派生モデルとして設けず、ツーリングワゴン のポジションを明確にしたことはトピックだった。

ところで、レガシィ発売からしばらくして、F1用 スバル = モトーリ モデルニ 水平対向12気筒エンジン を供給する 「はず」 だった、当時 ミナルディ チーム に在籍していた ピエロ・ルイジ・マルティニ が来日して、確か 富士スピードウェイ での試乗だったと記憶しているが、レガシィRS について「この RS の革張りシートの豪華バージョンが用意されれば、とても魅力的だと思うのだが、皆さんはどう思うだろうか?」といった感想が カートピア に掲載されていた。

 考えてみれば、裏では、桂田氏を中心とした実験部隊が、EJ20G と オートマチックトランスミッション のドッキングに悪戦苦闘していた時期である。

 10月、レガシィ シリーズ に GT が追加された。

1989年9月発行 レガシィ GT カタログ

私の 「お目当て」 は、同時に追加された レガシィRSタイプR、そして、RSタイプRA だったから、リッチなウールモケットのパワーシート に腰を下ろして、オートマチックトランスミッション でゆったり走り、時々 200ps のパワーを楽しむ、という GT のキャラクターは、全く「別世界」 の話だったが、ツーリングワゴンGT は グローバルという言葉がまだなかった当時の世界を見渡してみても、シリーズの最高級車でありながら、圧倒的なパワーを誇る AWD の全天候ステーションワゴン という、かなり 「欲張り」 な 新しい価値 を実現していた。

 1990年5月 に レガシィ シリーズ が年次改良で B型 へ移行して、その秋口くらいから一気に ドーン と波が来たような気がする。マルティニ の言った通り、革シートにオプションてんこ盛り、といった レガシィ ツーリングワゴンGT が本当に飛ぶように売れていった。

 それまでは暇なものと決まっていたウィークデイに、タバコを吸いながら、工場の裏で延々とバカ話をしていた仲が良かった セールス もそんな暇はなくなり、スクラップになる レオーネ4WDRXターボ や RX-II から、リヤデフその他の部品をムシるのを手伝ってくれたサービスマンも、納車整備と車検にてんてこ舞いになった。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(7)

私は私で、ダートラ地方戦で少しづつ走り方を覚えてくるにつれ、クラッシュやトラブルに悩まされるようになった。

 今考えれば、4WDターボ でアマチュアのプライベーターがモータースポーツを戦うことは、とても荷が重いことだった。しかし、当時の私には レガシィRS で闘うこと以外考えられなかった。レガシィRS でなければ、モータースポーツをやる意味がなかった。わずかばかりの貯金はたちまち底を尽き、少しづつ借金が嵩んでいった。

 当時もし BRZ があったとしたら、話はまた違っていたかも知れないが・・・。

 カネがない以上、メンテナンスは自分でやらなければならない。部品代もなかった。ツテを頼って方々の解体屋に声を掛けておいて、BC5 に工具一式を積み込んで、九州一円に部品をムシりに走ったものだった。そこまでして レガシィRS で走りたいと思っていたのだから、若さというのは、無謀というかバカというか・・・ともかく凄いエネルギーである(笑)。

 いずれにせよ、こういう状況ではモータースポーツを 「楽しむ」 どころではなく、1戦スキップして整備に充てて、また出たら壊れて、突っ込んで・・・という悪循環にハマっていくことになることは・・・うん、まあ、バカとはいえ分かっていた。

 GC型インプレッサ が C型 に移行した 1994年後半、260ps の WRXタイプRA に乗ってみて、もう BC5 で戦うことが明らかな 「時代錯誤」 であることがハッキリして、年明けに WRXタイプRA STI でとどめを刺されたって感じかな(笑)。

 最後の 1戦 は、不安を抱えていたドリブンギヤの2速のシンクロの手配が付かずに、あえなくミッションブロー でリタイヤ。もう落胆する気力も残っていなかった。

 そこまでいつも聞こえていた ジョーの子守歌 が、「燃えたよ・・・燃え尽きた・・・真っ白にな・・・。」 という、ホセ・メンドーサ との一戦の後の 矢吹丈 のセリフにいきなり置き換わってしまった、そんな感じだった。

 ちなみに、この ジョーの子守歌 を唄っているのは、スバリスト にはおなじみ 「飛行機野郎の追憶」 の 小池朝雄 氏 である。

 壊れたミッションをダマしダマし、家に帰る道すがら、もう悔しくて、悲しくて、涙が溢れて前が見えなくなってしまうので、何度も路端にクルマを止めて、感情をやり過ごさなければならなかったことを覚えている。

 GC8 C型 インプレッサWRX にするか少し迷って、いい出物があったので、BC5 A型 の レガシィRSタイプR を改めて関東のショップから購入した。昼間は会社を離れるので、勤めていた会社の事務の女性に、「陸送業者からクルマを受け取ってもらえないか?」 と頼んだ。

 「どんなクルマですか?」と聞かれたので、「ああ、競技に使うクルマ。」 と答えた。

 彼女はそこで 「凄いスポーツカーが届く」 ものと勝手に勘違いしたらしい。もちろん、届いたのは何の変哲もない4ドアセダンである。意図的ではなかったにせよ、残念なことに彼女は大いに関心を引かれてしまった(笑)。

 リヤに修復歴があり、走行が若干伸びているという理由で、そのクルマは安かった。問題があれば、走れば分かる。峠道に走りに行くというと、彼女も連いてくるという。

 県境の旧道のタイトな峠道で、切った貼ったでオリジナルとは似ても似つかない乗り味になってしまっていた自分の BC5 とは違って、すごく足がよく動いてターンインもやりやすいことに驚いた。一体自分は 2年間 何をやってきたのだろうか、と思った。少しこじり気味に滑りながらコーナーに入っても、緩やかにリバースして安心してアクセルを全開にして立ち上がっていける。

 最初のコーナーの立ち上がりでミスをした。そうか、クロスミッションじゃないんだ。2速 でしっかりとレブリミットまで伸ばしてやらないといけないんだ。しっかりと回転を合わせて、そっと、でも素早くクラッチを繋ぎながら、フォークとリンケージの動きを掌で確実に感じながら 2速 にシフトダウンと同時にターンインから全開。ボクサーサウンド と サージ音 のコーラスを奏でながら、新しい BC5 はコーナーを滑らかに立ち上がり、次のコーナーに続く短いストレートを加速していく。

 やがて山頂を越えて、ワインディングは下りへ。瞬間的に 4速 まで入り、フルブレーキングから2速 まで落として回る、30R ほどのコーナーが連続する S字 が最初のコーナーだ。一つ目はブラインドで次のコーナーのクリップは見えない。少し手前から姿勢を作って、見えない次のコーナーのクリップをすでに見据えている。もう何千回もやってきたことだ。

 そこだ!

 軽くブレーキングでフロントに荷重を移しながら、わずかにカウンターを当てた方向にステアリングを切り込む。リヤが流れる向きを替えた瞬間に全開。ノーズが二つ目ののコーナーのクリップを舐めながら、ほぼニュートラルステアを保ったまま、BC5 はボクサーサウンド をたなびかせながらコーナーを抜ける。

 ひとつひとつの動作を丁寧に、確実に、そして噛み締めるように九十九折を走らせた。この同じフロントグラスからの風景を、マルク も、アリ も、コリン も、リチャード も、ポッサム も見ている。だから 俺も スバル に乗っている。

 ずっと一緒に戦っている。

 1980年、カートピア で スバル が サファリラリー に挑戦するという記事を見つけた ある小学生 は、サファリラリー の期間中、学校から帰ってくると、親の目を盗んで 東京都新宿区西新宿1-7-2 に電話を掛けるようになった。ラリー なんて知らなかった。ただ、スバル が一番になって欲しいと心から願っていた。最初は 総合18位。私は大いに落胆した。

 その月の 電話代 が異常に高いことを不審に思った親が、通話記録を私の前に置いて問い質したが口は割らなかった。もっともバレてはいただろう。しかし、今、スバル が 世界に挑戦していること。そして、そこで一番になることを、他の誰よりも早く自分が知ること。それは当時の私にとって、何よりも大切なことだったのだ。

 2年目、11位、3年目、7位。もう、世界中のライバルを蹴落として、スバル が頂点に登り詰めるのも 秒読み だと思っていた。

無邪気なものである(笑)。

 そして、1983年、前の年にデビューした レオーネ4WDRX が、ついに 総合5位 に入賞した。電話口の 富士重工業 本社 の人の声が、誇り高く弾んでいたことを今でも鮮明に思い出す。

 私は狂喜乱舞した。スバル を心から誇りに思ったし、自分が スバリスト であることを心から誇りに感じた。

 ただ、そこからが長かった。S.M.S.G(スバル モーター スポーツ グループ)による参戦では、規模、資金、技術的な面で限界があった。そうした環境で大変な思いをしながら戦い続けている人々の存在を知った。

 その人々は、私にかけがえのない大切なものを与えてくれた。夢を見ること。決して挫けないこと、諦めないこと。スバル に乗るすべての瞬間に、その人々の存在を忘れたことは、ない。

1982年10月発行 スペシャルステージ Vol.1

峠を降りて、いつもの自動販売機の前にクルマを停める。暖かいコーヒーを・・・とポケットの小銭をまさぐっていると、後ろで バンッ! とクルマのドアを閉める音が聞こえた。「もう 夜中の0時 なのに、こんなところでクルマを降りる奇特な奴って・・・」と自動販売機からコーヒーを取り出しながら顔を上げると、そこに彼女が立っていた。

 心底驚いた。走らせている間、一言も喋らずに座っているもんだから、彼女の存在がすっかり頭の中から消えていた。つまり私は 「そういう奴」 なのである。我ながら呆れたことはこの時ばかりではない。

 世間の常識から考えれば、多分少し理屈がおかしいかも知れないが、少し傾いた生活を立て直すために、私は結婚することにした。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(8)

ハセガワ の BF5 レガシィ ツーリングワゴンGT (キット名は 「スバル レガシィ GT ツーリングワゴン」となっているが) を組んだことがある人ならもうお分かりだと思うが、今回の制作では、C型 から A型 へのコンバージョンである。

ハセガワ 1/24 レガシィRS ボディ

ハセガワ の レガシィRS は、かなりストックしているのだが、何しろ ピラー が細いので、模型屋なんかで積み重ねられている間に箱が潰れて、ピラーが折れてしまっているものが時々ある。

 これを利用して、それぞれのボディの Aピラー下、フロントドア前を切除して、0.2mm プラ版で裏打ちして、それぞれのフロントセクションを組み合わせる訳だ。

 ここで問題がひとつあって、レガシィRS の方は、サイドモールに溝が彫り込んであるのだが、ツーリングワゴンGT の方では、このサイドモールの溝がオミットされている。

 だから、できれば フロント / リヤドア も モールから下を移植した方が良いのだが、このふたつのキットは、金型にまったく関連のない別キットなので、微妙にドアのパーティングラインと前後寸法が違っているので、結構フィッティングに手間が掛かる。

 こういう場合、むしろ潔く大きく違ってくれていた方が何かと作業がやりやすいのだが、もし同じことを考えている方はこの部分は要注意である。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT ボディ

ただ、リヤクォーターパネル の サイドモール だけは、移植しにくいので今回はさらりと筋彫りして仕上げている。

 そう気になるほどのものでもないと思うがどうだろうか。

 で、どうして今回、A型 であることにこだわらなければならなかったのか、というと、ボディカラーが上で書いた理由から、パールホワイト・マイカ でなければならなかったからで、BF型 レガシィ ツーリングワゴン で パールホワイト・マイカ が設定されたのは、1989年10月 の GT の車種追加から、B型 に移行する 1990年5月 までのわずか 半年間 しか販売されていない。

 余談だが、この パールホワイト・マイカ の色番は #75 で、この色は 昭和62年7月 に、AX型アルシオーネ シリーズ に追加された、AX9型 アルシオーネ 2.7VX の専用ボディカラー で、1989年1月に誕生した 初代BC / BF型レガシィ シリーズ で、4ドアセダン 2.0VZ のみに展開されたものである。

 ツーリングワゴン では、1989年1月の誕生当初は、この パールホワイト・マイカ は展開されず、ソリッド の セラミックホワイト だけの設定だったので、BF型レガシィ ツーリングワゴン で パールホワイト・マイカ が設定されたのは GT のみ、しかも、わずか 半年間 しか生産されなかった 稀少色 ということになる。

 だから、見たことがある、という人も非常に少ないと思うのだが、私は幸運にもこの パールホワイト・マイカ の ツーリングワゴン を見たことがある。

 夕焼けの街角で、信号待ちから走り出して、ビルの影から パッ と夕焼けの光に照らし出された パールホワイト・マイカ の ハイライト と 影 の部分の グラデーション と コントラスト が、ドレッシィな BF型レガシィ ツーリングワゴンGT の優美なスタイルと絶妙にマッチして、すっかり心を奪われて、走り去っていくのをずっと見つめていた記憶がある。

 この色は、アルシオーネ 2.7VX だと、その先鋭的なスタイルにものすごく映える。同時に設定されていた ディープレッド・マイカ や、1989年1月 の 初代BC / BF型レガシィ と共用化された ブラックマイカ、ディープレッド・マイカ から少し明るくなった レッドマイカ も悪くはないけれど、やっぱり アルシオーネ 2.7VX は、この パールホワイト・マイカ が一番だなぁ、と、今も個人的に思っている。

 カラーデータ をお知らせしておくと、クレオス Mr.カラースプレー 69 グランプリホワイト を 3コート、タミヤカラースプレー TS-45 パールホワイトを 3コート、クレオス スーパークリヤー UVカット で仕上げている。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(9)

シャシーは レガシィRS と共通で、リヤオーバーハングにエクステンションを接続させる点のみが違う。

 もう何百回組んできただろうか。このキットを組むときはもう組立説明書なんて見ることはないものねぇ。

 厳密にいうと、実車では、リヤデフ横のフランジから後ろのリヤマフラーピースは、4ドアセダン と ツーリングワゴン では違う部品で、サイレンサーとフランジ間のパイプの長さと折り曲げ形状が違うので、本来は、その部分を作り直した上で、サイレンサーを 5mm ほど後方に移動してやらなければならない。

 だからデュアルになっているテールパイプの部分が実車と比べると少し長くなっている。ただ、バンパー下端との取り合いと、マフラーカッターの仕上げには特にこだわったので、上から見た時の全体の佇まいにはとても満足している。

 フロア下とスペアタイヤスペースに開けた穴は、ディスプレイケース固定用のナットを裏に装着しているもの。これに長さを調節した スペーサー と ワッシャー を噛ませて、同じく長さを調節した 4mm トラスビス で台座に固定する訳だ。

ハセガワ 1/24 レガシィRS ボディ

室内もいつも通り。トリムカラー は、GT に関しては レガシィRS と同じく グレーのトリムカラーのみの設定だが、今回は、本革シート仕様としている。

 ハセガワ の レガシィ ツーリングワゴンGT は、先行発売だった レガシィRS とシャシーを共用しているのでマニュアルトランスミッション仕様なのだが、実は、ツーリングワゴンGT でしか選べなかった 5速マニュアルトランスミッション には、本革シート の設定はなかった(笑)。

まあメーカーOP としての設定がなかっただけで、無茶を言って 5速マニュアルトランスミッション の本革シート仕様を特注した、という話は聞いたことがある。

 その場合、エンジンルームのバルクヘッドに貼られたコーションプレートに記される トリムコード がどういう記号になるのかは、現在までのところ謎である。ただ、私自身、解体屋から 本革仕様 の シート、ドアトリム、センターコンソール・アームレスト蓋、Aピラートリム、サイドブレーキレバー、ATシフトレバー(このふたつは、GT のみ 合成皮革ステッチ付)をムシって来て、随分 「GT仕様RS」 を作ったから、RS にはない運転席パワーシートのハーネスを自作する作業が必要となる以外は、そう大きな違いはない。

 一方、A型 と B型 では、C型以降ほどではないにしろ、微妙な仕上げの差異がある。

 例えば、運転席側インストルメントパネル下にあるコインボックス内、グローブボックス内、Aピラートリム が、植毛風の吹付処理の廃止、インストルメントパネルセンター下の物置トレイの着色処理の廃止などのコスト削減や、メーターパネル内燃料計の目盛を上下に1つずつ増やしたり、GT については CDプレーヤー標準化、MOMO製ステアリングセンターパッド変更(ホーンボタンとパッド面の平滑化)、ツーリングワゴンGT で リヤゲートガラス下端 のモール廃止、 RS ではシートリフター、ランバーサポートの標準化 など、細かい部分で結構変更されている部分がある。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(11)

GT の本革シートは、座面、バックレストも横方向の寸法がたっぷりしていて、畳まれた ドレープ とふっかりとした掛け心地がとてもステキだった。RS のシートは、A型 ではシートリフターがなく、座った感じはとてもスカットルが低くて、解放感はあるけど速度感もある。B型 では シートリフター が付いて、座面がいい塩梅まで下がるようになった。

 着座位置を下げるために装備された シートリフター というのも珍しい(笑)。ちなみに、GT のシート最下限位置は、A型 RS の位置と同じで、乗り換えると、結構運転感覚が違うのが面白かった。

 面白くなかったのは、RS のシートが、体 「が」(「に」ではない)シートに馴染むまでは、長距離乗ると、坐骨に面圧が集中して苦痛で苦痛でしようがなかったことだ。あの頃に比べたら、スバル のシートの進化には、まさに隔世の感がある。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(12)

パッケージは、ご覧の通り、ディッシュホイール が特徴である C型 ツーリングワゴンGT である。

 イラストから見る限り、シート は 本革仕様 となっている。5速マニュアルトランスミッション の 本革仕様 は、初代 BC / BF型レガシィ シリーズ のモデルライフを通じて、ついに設定されることがなく終わっているのだが・・・。

 このキットから切除した フロントセクション は、D型 4ドアセダン GTタイプS2 の製作のために今後活用されることになっている。完成時期はもちろん未定である(笑)。

ハセガワ 1/24 スバル レガシィ ツーリングワゴンGT(13)

ずっと後になって、家内が件の奇妙な 「初デート」 について話してくれた。

 「最初のカーブがすごいスピードで近づいてきて 「もうダメ!」 と思った瞬間に体が硬直して声も出せずに目をつぶったんだけど、「ドカン!」 という衝撃がなくて、その後は不思議な感覚で・・・まるで レガシィ とあなたがゆったりとダンスを踊っているのをずっと横で見ているみたいだった。」

 「まあ、レガシィ ならね。それに、俺は運転が上手いから(笑)。」

 と少し茶化しながら私が返すと、

 「それは違うわ。結婚してから、あなたの運転に恐怖を感じた瞬間は数え切れないくらいあるんだから!」彼女は真剣に怒って言った。

 少し間を置いて、「でも・・・。」 と彼女は続けた。

 「あの時ぐらい、私が人生の中で安心していられたことはなかったの。すごいスピードでカーブを曲がっていても、絶対に何も起こらないって分かってた。あの時はじめて、あなたの運転する レガシィ に乗ったのにね。」

 彼女の方に顔を向けた瞬間、彼女は私の唇にやさしく キス をしてくれた。

 メリー クリスマス。


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