2009年5月 富士重工業販促@ レガシィ ツーリングワゴン

2009年5月 富士重工業販促@ レガシィ ツーリングワゴン
2009年5月 富士重工業販促@ レガシィ ツーリングワゴン

今回は、2009年5月、新型レガシィの発表会場で頒布された、いわゆる「販促品」であるレガシィ ツーリングワゴンを紹介。

 1970年代から1980年代前半までのスバルディーラーといえば、こうした販促品は、メーカー自体が製作したものが豊富に用意されていて、まあ、こんなことを言っては何だがなんだが、「そのためだけに」足を運ぶ楽しみがあったのだけれど、少なくともスバルに関して言えば、1980年代後半の経営危機からかなり寂しい状態が続いているような気がする。

 ここ10年余りで多かったのはタカラトミーの「チョロQ」で、話題になったのは「ヤングSS」の割と大振りなラジコンカーくらいだろうか。

 せっかく凝った販促品を用意しても、なかなかお客の足はショールームに向いてくれないのだろう。時代も変わったものである。

2009年5月 富士重工業販促@ レガシィ ツーリングワゴン

今回の新型レガシィの発売にあたって、富士重工業は3種類のミニチュアの販促品を用意してくれた。

 今回は実車の忠実なスケールダウン、いわゆる「アイデンティカル・スケール」で、「ご成約記念品」として、このダイキャスト版で、ちゃんと内装が付属したものを製作したらしい。オークションではそれなりの金額で取引されているのでご存知の方も多いだろう。

 このモデルのスケールは外箱にも本体にも明記されていないので不明なのだが、アウトバックで測ってみると、大体1/47程度のスケールのようだ。

 なんとも中途半端なスケールに思えるが、ミニカーメーカーの立地の余地を残したとも思える。

 だが・・・先代のBL/BP型レガシィもそうだが、まだどのメーカーもリリースの予定はない。

 新しくなればなるほど、なんとなく「クルマ」というものが「嗜好品」のような範疇から外れていっているように感じてしまうのは私だけではないだろう。

2009年5月 富士重工業販促@ レガシィ ツーリングワゴン

実は最近ではこうしたミニチュアカーの金型製作というのはそれほど大変なことではなくて、3DCADの正確なデータがあれば、自動で元型を切削してくれる便利な機械が出回っている。メーカーだけにそうしたデータは出せるだろうから、今回のこのモデルはどこからみてもまさしく新型レガシィ。

 意地悪くアラ探しをしても、まったくどこにも狂いがない。

 昔のクルマをモデル化するとき、必ずどこかに「いびつ」な部分が出てくるのは、こうした正確な立体図面が起こせないために、最終的には人間の目と技術が頼りになるためで、そこがまた技術だったり、はたまた鋳造技術だったりといった「限界」をどう「見切る」かが、ミニカーメーカーの個性や、メーカーのそのクルマに対する思い入れを推し測る「バロメーター」であり、そこにミニチュアカー収集のひとつの楽しみがあるのだが・・・。

2009年5月 富士重工業販促@ レガシィ ツーリングワゴン

ちなみに、今回のこのモデルはプラスティックモデルである。

 そしてもうひとつのポイントは、モデルとなっているのがフラッグシップの2.5GTではなく、2.5i Sパッケージだということだ。

 ヨーロッパでも新型レガシィの販売が始まったようだが、あちらでは2.5LのNAが販売の主体だから、ヨーロッパ市場での頒布も予定されたのだろうか。

そして、ヨーロッパにはなんといっても2.0Lのボクサーディーゼルターボがラインナップされている。

 2007年の登場時点で、日本とアメリカ市場への投入は2010年以降とアナウンスされていたから、来年の年改で追加されるのだろうか。

 楽しみである。

 やっぱりダイキャスト製の重量感に慣れている身にとっては、ちょっと寂しいものがあるのは否めないが、見て楽しむ分にはメーカー自身の手になるものだけに出来映えはすばらしいものである。

 やはりどんな形であっても、実際にミニチュアとして手にできるということは、またそういう形で遺すことは「モノ作り」のメーカーにとって大切なことだと思う。

 また、最近の例に倣って、このモデルもプルバックゼンマイ付きで走行可能だ

2009年5月 富士重工業販促@ レガシィ ツーリングワゴン

外箱は、ご覧のようにディスプレイケースになっていて、デスクに駆ることもできるけれど、外箱の紙質や組みが甘くて、セルの部分はホコリを払えばたちまちキズだらけなってしまうだろうから、結局仕舞いこむことに決めた。

 なにより、箱の内側に折り込んだ「耳」の部分が見えてしまうのは痛々しさすら感じる。

 それはおそらく、今回、アメリカでサブプライム問題が顕在化して以降の富士重工業の危機感は、1980年代後半の経営危機に匹敵するほどの恐怖だったに違いないのである。そうした折にもこうした形でユーザーへの心遣いを残してくれたことは、それだけでもよかったという気はする。

 私の中では、きっと将来、そういう印象で残るモデルである。


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