CM's 1/64 レガシィRS 1991RACラリー(アリ・バタネン/ブルーノ・ベルグランド組) |
1993年のニュージーランドラリー・ウィナーに続くCM'sのプロドライブレガシィの二回目は1991年RACラリーでアリ・バタネン/ブルーノベルグランド組が5位に入賞した一台。
この年のスバルチームは、参戦当初からレガシィに鞭を当て続け、ここまで育て上げて、この一戦を最後にスバルからトヨタへの移籍が決まっていたいたマルク・アレンと、おそらくデビッド・リチャーズ+スバル絡み(リチャーズはバタネンのかつてのコドライバーで、バタネンは1987年のサファリで久世氏が総監督を務めるスバルチームでレオーネ3ドアクーペ4WDRXターボをドライブしている)で二つ返事でスバル入りを承諾したといわれているアリ・バタネン、さらに1991年の英国選手権をプロドライブレガシィをドライブして圧倒的な強さでシリーズを制した、あのコリン・マクレーの3台のエントリーという、豪華な顔ぶれだった。 |
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この頃のレガシィは、エンジンパワーではトヨタやランチアに比べればまだ若干劣るけれども、軽さと重量バランス、それに優れたハンドリングでそれを補うことがそろそろ可能になり始めたころで、完走できれば4、5位というところが定位置になっていた。
当時はこうした情報はラリー終了後の山海堂の「RALLY/X」と季刊誌だったSTiの「BOXERSOUND」でイベント終了後にしか知ることができなかっただけに、タイムチャート上では着実に速くなっていることを実感できるのだが、毎回毎回スバリストとして、伝えられる内容と結果のギャップに落胆していた頃だ。
だからこそ、後に久世氏がこの当時を回想して「毎戦毎戦がっかりして帰った。」という言葉の重みが痛いほど分かる。
スバリストを自認する私の周囲の人間はみんな、そんな久世氏の思いを共有していた。 |
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このラリーもそんなラリーのひとつで、おそらく全滅という最悪のケースを避けるためにセーブを指示されていただろうバタネンを尻目に、ラリーは第1レグからアレンとマクレーの激しいトップタイム連取で幕を開けた。
「このエンジンがあれば今まで何勝もできた」と語ったアレンは第1レグで2度首位でラリーをリードしたし、第2レグではマクレーまでがラリーリーダーの座を奪っている。
残念ながら第2レグ後半でマクレーはスピン、アレンはトランスミッショントラブルでそれぞれ第2レグ終了後に4位、10位へと順位を下げてしまうのだが、バタネンが着実に7位に着けて第3レグを迎えた。
この第3レグ、毎年波乱が起こっていたパンダーショウ、SS31キールダーの森で、アレンはトランスミッションを壊し、マクレーはコースオフでリタイヤ。バタネンの1台が生還し5位に順位を上げてフィニッシュという結果は、スバリストにとっては、まさに「トビに油揚げを攫われた」、あるいは、せっかく出されたメインディッシュの後のおいしそうなデザートを引っ込められて他のテーブルに持っていかれたような落胆である。 |
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というわけで、スバリストにとっては複雑な心境で見てしまうこの1台を、ハセガワが1/24のプラスティックモデルで、そしてCM'sが1/64でモデル化しているわけだが、この年のスバルにとっての初戦、スウェディッシュ・ラリーでアレンは第3レグでマッツ・ヨンソン、ケネス・エリクソンと白熱したトップ争いを演じて3位表彰台に上っているのである。
スバルのWRCチャレンジが語られるとき、アレンの活躍についてが触れられることが少ないのは残念なことである。
本来ならこのアレンのスバル初の表彰台のモデル化こそ、CM'sにはやってもらいたかったとうのが多くのスバリストにとって本音のところではなかっただろうか。
もちろん、モデル化には心から感謝はしているし、出来映えもすばらしいものだ。
だからこそ、ハセガワの既作にあえて重なる形でのモデル化は避けてもらいたかった・・・、というのは酷な話だろうか。 |
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と、ボヤいているスバリストの声が聞こえた訳ではないだろうが、おそらく最近発売数もめっきり減った、CM'sコーポレーションの「ラリーカーコレクション」で、おそらくこれが最後の発売になるのではないか、といわれている「スバルWRCの軌跡」と銘打った15台セットの中に、プロドライブ・レガシィにとっては、アクロポリス、1000湖に続き参戦3戦目となった、1990年サンレモのアレン車が入ることになった。 |
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メーカーサイトでは2009年9月発売の予定が、「恒例の」延期で10月3日に書き換えられているのだが、まだ問屋からは何の連絡もない。
困ったもんだ。
このときの結果は・・・スバリストとしてはあまり語りたくないのだが(汗)、序盤で2台ともミッショントラブルでリタイヤという結果に終わっている。実はこの前の1000湖でアレンは惜しくも表彰台に届かず4位という結果を遺しているだけに、同じ1990年シーズンならこちらか、むしろ初戦のアクロポリスをモデル化して欲しかったというのが正直なところなのだが・・・。
とはいえ、極初期のプロドライブ・レガシィのカラーリングが再現されるのはミニチュアの世界ではおそらく初めてのことで、あの「熱く戦った日々」を知る者にとっては、それだけでも、まさに「かけがえのない」メモリアルということはできるだろう。
なおこのセットでは、
レガシィについては既発の1992スウェディッシュと1993ニュージーランドウィナーも再生産・同梱となっているので、買いそびれて地団駄を踏んでいたヒトは、今度こそ最後のチャンス!お見逃しのないように!
写真はメーカーサイトからの引用で、ルーフベンチレーターが1993年シーズンのものである点、フロントバンパーの「チェリーレッドにまみれて踊る」ムッシュ・ビバンダム様がいらっしゃらないようなので、発売までには修正を加えて頂かんことを強く望んでおりますので、CM'sコーポレーション担当者様、何卒よろしくお願い致します。 |