永久に クルマ の 「本質」 には絶対に辿り着けないと私は断言できる。
ディーラーの小ぎれいなショールームの裏には、もう最近は忘れている人が多くて困るのだが、夏は暑く、冬は寒くて、オイルとガソリンとグリースの匂いのする、油焼けした床の サービス工場 があるのである。
現在ほど電子制御化が進んでも、結局、クルマの本質は、おそらく 100年前 と 五十歩百歩 だ。メンテナンスフリーが進んだから、クルマはそういう 「手のかかる代物」 ではなくなってしまったように感じるかもしれないが、今でもオイルを定期的に交換しなければ、オイルは摩擦剪断性を失い、摺動部は直接接触して摩耗するし、経年とともにラバー/プラスチック類は劣化するし、ギヤのバックラッシュだって適正値から外れて振動や騒音は大きくなっていく。
クルマのコンディションをキープするのは、ひとえにそのクルマのオーナーの 「心がけ」 次第なのだが、自分のクルマの基本的な整備はおろか、メンテナンスすらできないのに、定期点検をサボって、やがて不調をかこい、それをディーラー、あるいはメーカーのせいにする、こういう「ふざけた輩(やから)」 が本当に多くなった。
こういう輩に、一体 クルマ の何を語れるというのだ。笑止千万である。ふざけるのも大概にしろと私は言いたい。
人は自動車としての機能が他のクルマより優れているから、そのクルマを買うとは限らない。何万台売ろうがメーカーの 「実入り」 が全然ないクルマもある。3,000台 でもしっかり稼げるクルマもある。安いから売れるモノは、「永久に」 安くなければ売れない。
だが、高くても買ってもらえる 「モノ」 を作ることは難しい。目新しさを メディア と 評論家 を使って徹底的に刷り込んでも 、「新発売」 からの 「風化」 も早い。「本質」として 語るべきものが何もないからだ。
その点、スバル は しつこい。同じ 「モノ」 を何十年もかけてずっと磨き続けている。本質を見つめ続けることができるから、EyeSight のような 「革新」 を 「モノ」 にできる。だが、こっち と 向こう で 違う「モノ」 を 同じ名前で出すような 「二枚舌」 を使うことを潔しとはしない。
グローバル経済の今日び、そういう、一見つまらない 「矜持」 を 富士重工業 が守り続けていることも、スバリスト という 「マイノリティ」 がしぶとく絶滅しない原因だろう。
レガシィ2.0 GT DIT が発売された折の 「みんカラ」 のレビューで、「あと 30万 〜 40万 安くなければ購入対象にならない。」という人がいた。こういう人は スバル のお客にはならない。「安ければ買う」 というのなら、スバル の値引きは確実に他のメーカーより渋いし、そもそも本体価格だって少しばかりお高い。当然である。台数が捌けるメーカーではないのだから。
ガイシャと比べてどうの、と言いたがる 「おセレブ」 な人も(笑)、まずお客にならない。おそらく フェラーリ か ポルシェ か BMW を買うのであろう。それで良いと思う。
私には関係ない。 |