「磨きぬかれたものが、キラリ と光るのよねぇ」 という 大地喜和子 さんの 「アダルティ」 な雑誌広告で見た、大きく開けたブラウスの胸元を思い出して困ってしまうが(笑)、このあたりの私個人の 「思い入れ」(「思い込み」?) については、AMT 1/25 スバル ブラット で余すことなく(1万分の1くらいを)ブチまけているので、ぜひ、お読み頂きたい。
木型で終わっているので、かなり早い段階で商品化は 「流れてしまった」 ようだが、まあ、それは 「スーパーカー・ブーム」 最高潮の折だけに仕方がない面もあるだろう。
ただ、1975年10月、A型レオーネ が SEEC-Tシリーズ に移行して以降、排気量拡大による車格感が上がったことも手伝って、実は レオーネ シリーズ は月販 6,000 〜 8,000台 をきちんと国内市場で売っていた。
まだ、北米市場で 年間 5万台 売っているかいないかの時代である。
現在の インプレッサ、フォレスター の快進撃もかくや、の 「勢い」 があったのだ!
だから、私は レオーネ が 「マイノリティ」 だった、という意見には与しないのだが、スケールメリット が活きる車種選定が重要な トミカ で、レオーネ が商品化の検討の俎上に上がったということも、それを裏付ける立派な 「根拠」 となり得るだろう。 |