トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ

1/64 スバル レガシィ 世界速度記録挑戦車 2MODELS VOL.1、2

トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ 1/64 スバル レガシィ 世界速度記録挑戦車 2MODELS VOL.1、2(1)
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今回は、トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ 1/64 スバル レガシィ 世界速度記録挑戦車 2MODELS VOL.1、2 を紹介。

レガシィ の 「ストーリー」 は、この 10万キロ世界速度記録挑戦 から始まった、といって、異論を挟む人はいないだろう。

 このモデルを初めて手にした時、「あの時、自分はこの 10万キロ世界速度記録挑戦 ってどういう風に捉えただろう。」と、25年前の記憶を辿っていた。

 前年の 1988年 4月 に、スバル の モータースポーツ活動を統括する組織として、スバル テクニカ インターナショナル が設立されて、その時に、モトーリ・モデルニ、ミナルディ と共同で、F1 への参戦も発表された。

 チーム・スバル、あるいは スバル・モータースポーツ・グループ(S.M.S.G)として、社内の有志によって行われていた ラリー参戦 は、すでに 1986年 サファリラリー から、富士重工業 本体 による参戦、つまり ワークス に、少なくとも 名義上 はなっていたから、おそらく レオーネ に代わり、圧倒的にポテンシャルが上がる 新型車 による、WRC への参戦も、「既定」と考えてまず間違いなかった。

 結局「この人たち」 はそれでも満足はできなかったのだな、と、当時、私は考えたような気がする。

1989年 販促用非売品ビデオ  レガシィx10万キロ連続走行  世界速度記録達成ドキュメント

でも、もう少し考えてみれば、発売される 「その時」 に、親分 がいうところの 「勲章」 を携えて生まれてくるのと、何も持たずに生まれてきて、そこから 「積み上げていくこと」 は、全然違うことだ。

 さまざまなメディアを通じて、この 10万キロ世界速度記録挑戦 の模様が報じられて、スバリスト としては、発売前から 新型車 の姿かたちを拝むことができたのも、素直に嬉しかったし、その新型車が、今まさに 「世界一」 になろうとしている事実、そしてマイノリティであることを 「是」 としてきた スバル に、世間が 「注目」とまではいわないが、少なくとも 「何か凄いことをやっている」 と大方の人々が 「知っている」 ことが、なにしろ、スバリスト としては 「初体験」 だったから(笑)、そのことが誇らしく、そして、とても気持ちよかった。

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レガシィ が アリゾナ州 フェニックス の テストセンター を走り始めた、1989年の年明け、昭和天皇の崩御により、平成へと年号が改まった。何もかもが 「初めて尽くし」 で、葬式 のことを 「大喪の礼」 と呼ばなければならなかったり。そう、その日は、テレビでその模様を眺めていて、初めて見る 日産 プリンスロイヤル の 霊柩車 に少し驚いたが、式の間、ずっとさめざめと雨が降り続いていたのが印象に残っている。

 冨国強兵から太平洋戦争、敗戦、高度経済成長。アメリカに氾濫する 日本車、デトロイト の ブルーカラー の蜂起、自動車輸出自主規制、そして 1985年 の プラザ合意 という流れを経て、円はそれまでの 240円 から 120円、そして、さらにそこから値上がりを続けていた。

 それが 「昭和」 という 「時代の終わり」 だった。

 こういう時代の流れの中で、確かに 「安くていいもの」 だった レオーネ では、いきなり 高付加価値商品 へ趣旨替えなどできるわけもなく、円の高騰による値上げに伴う極度の販売不振と為替差損によって、富士重工業 は巨額の営業赤字を抱えることになってしまった。だが、それはアメリカ市場でモノを売っていた他のメーカーだって同じことだった。

 製造コストの低減や、高付加価値の商品への移行が必要だとメディアや経済評論家は叫んでいた。だとしても、株式市場は年初来高値を更新し続ける状況が続いていた。

 少しだけ気がかりだったのは、なぜ株式相場がこれほどまでに活況を呈しているのか、その真っただ中にあった当時、その理由が誰にも分からないことだった。

 今なら、その理由を説明することは簡単なことだ。日本は世界的に見て 「あまりにも安い国」 だったに過ぎない。そして、凄まじい国際資本の流入に対して、あまりにも 政治 は 無知で無防備 だった。

 そこから 2年足らずで、日本はその 「バブル景気」 で手にした 「濡れ手に粟」 の利益ばかりか、戦後の高度経済成長で蓄えてきた 「資産」 まで、すっかり 吐き出さなければならなくなる。だが当時、「悪いこと」 が起こりそうな雰囲気はまったくなかった。日本全体が楽観的なムードに包まれていた。

 そんなまさにその時、日本から遠く離れたアリゾナの砂漠の中で、多くの人々の情熱と愛に支えられて、レガシィ は、ただひたすらに 10万キロ先 のフィニッシュラインを目指して走り続けていた。

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1989年2月発行 「the longest day」 legacy sets new 100,000km world speed record

とても 「良い年」 になりそうだった。

 メディアが伝える、レガシィ の 世界速度記録挑戦 は、次第にボルテージが上がっていった。かつてないほど多くのメディアがそれを取り上げていた。

 そりゃ、いろんな試練や困難はあるだろう。19日間ぶっ通しで、しかもまだ誰も走ったことがないスピードで、10万キロを駆け抜けようというのだから。

 だが、レガシィ を支えている人々の顔の中には、1980年から始まった チーム・スバル による サファリラリー チャレンジ に手弁当で参加していた、スバル が好きで好きでしようがないという 「強者たち」 の姿があった。

 「レオーネ の ミッション なんて 10分 で載せ替えてやるから、死に物狂いで走って、グループB に一泡吹かせて帰って来い!」 と、ドライバーの肩を平手でバシンと叩いて送り出す、そういう面々である。

親分ももちろんいた。AA型レオーネ の開発主幹を務められた、高橋氏をはじめとする 富士重工業 技術陣 の姿もあった。地元フェニックス の人々の暖かい協力もあった。そしてもちろん ----- 新しく生まれてくる レガシィ が無事に10万キロを走り切ってくれることを信じ、祈り続けていた、日本中の多くの スバリスト の 「熱い想い」 もあった。

 クルマ は人が走らせるものだ。走らせたいと思い、願う人々がいなければ、クルマ は走り続けることはできない。レガシィ はその誕生にあたって、多くの人々から惜しみなく深い愛情を注ぎ込まれた。その人々に育まれて、レガシィ が、大きな産声を上げてこの世に生まれ落ちてくるその瞬間を、多くの人々が今や遅しと待ち侘びていた。

 その多くの人々から注ぎ込まれた 「愛」 に レガシィ が応える時がきた。

 1989年 1月 17日、まず、「50,000マイル世界速度記録」を達成(360時間45分38秒013、平均速度223.049km/h)。

 そして、1989年 1月 21日 午前 3時 11分 56秒。セラミックホワイト の 2号車 が、平均時速 223.345q/h で 10万キロ を走り抜いた。ピット作業などに要した時間もすべて含むのべ走行時間は、447時間 44分 9秒 887 だった。続いて 9時 15分 26秒、レッドマイカ の 1号車 も 平均時速 220.358km/h で、そして 10時 42分 43秒、イエロー の 3号車 もフィニッシュ。平均時速 219.664q/h。出走した 3台 すべてが 10万キロを完走。そして 3台すべてが、見事にそれまでの 世界記録 を更新するという、完璧な パーフェクト・ウィン だった。

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世界記録
距離 平均速度(タイム/達成車両) 従来記録
100,000km 223,345km/h
(447時間44分09秒887 / 2号車)
< 220,358km/h(1号車)>
< 219.664km/h(3号車)>
213,299km/h
サーブ9000ターボ 1986年
50,000マイル 223,049km/h
<360時間45分38秒013 / 2号車>
213.646km/h
サーブ9000ターボ 1986年

※ 2013年11月現在、100,000km、50,000マイル 世界速度記録 は、メルセデス
ベンツ E320 CDI
が 2005年 4月 2日 に新記録を樹立し、保持している。
( 100,000km: 225.903km/h、50,000マイル: 225.456q/h )
カテゴリーB グループV クラス11( 過給機付ディーゼルエンジン 2,500cc 〜 3,000cc 以下)

国際記録(カテゴリーA グループI クラス7)
距離 平均速度 従来記録
100,000km 223.345km/h
50,000
マイル
223.049km/h
50,000km 225.857km/h 175.628km/h
アルファロメオ ジュリエッタ
1982年10月
25,000
マイル
226.089km/h 179.586km/h
アルファロメオ ジュリエッタ
1982年10月
25,000km 226.251km/h 181.470km/h
アルファロメオ ジュリエッタ
1982年10月
10,000
マイル
226.221km/h 210.290km/h
ポルシェ911R 1967年10月
10,000km 226.119km/h 210.220km/h
ポルシェ911R 1967年10月
5,000マイル 226.707km/h 212.240km/h
ポルシェ911R 1967年10月
5,000km 226.526km/h 212.250km/h
ポルシェ911R 1967年10月
10マイル 229.138km/h 180.591km/h
ポルシェ914/4 1973年7月
10km 219.489km/h 174.135km/h
ポルシェ914/4 1973年7月
24時間 226.792km/h 212.310km/h
ポルシェ911R 1967年10月
12時間 226.639km/h 214.560km/h
ポルシェ911R 1967年10月

※ 上記 13 の 国際記録 は、2013年 11月現在もなお、スバル レガシィ が保持している。
カテゴリーA グループI クラス7(過給機付レシプロエンジン 1,500cc以上 〜 2,000cc以下 )

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トミーテック が、トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ で レガシィRS を発売した際には、すでに フロントグリル、フロントバンパー が 別パーツ となっていたから、この 10万キロ世界速度記録挑戦車 のバリエーション展開は 「織り込み済み」 だったようだ。

 特に素晴らしいのは、やはり、1989年1月 に アリゾナ州フェニックス の アリゾナ・テスト・センター に赴いた、レガシィ 4台すべてをモデル化してくれたことだろう。しかも、そのクオリティは、現存する 2号車 のみをモデル化した CM's の 10万キロ世界記録挑戦車 のフィニッシュが、あまりにも残念に思えてくるほどである。

 それは、たとえば、ボディ、シャシーのモールドや、タンポによる再現となっているスポンサーマークのシャープさも、10万キロ世界記録挑戦車 の大切なディティールであるフルフラットホイールキャップを専用部品として新たに作ったことにしても、思い入れを持つ人のために、しっかりと作り込みたいという心遣いが隅々にまで行きわたっている点がまったく違う。

 確かに、CM's の方は、シークレットということを考えなければ、735円 で、片や 2台セット で 2,500円、1台 1,250円 だから、515円 もの価格差がある。でも、それは 「お金」 だけの問題ではないのである。

私は CM's に心から感謝している。

 1/43 であちこちのメーカーから雨後の筍のごとく レガシィRS がモデル化されるようになったはるか前から、曲がりなりにも ラリーカー としても マイノリティ に属する レガシィRS を送り出してくれて、私を本当に喜ばせてくれた。

 すでに多くの グループA レガシィRS の目ぼしい車両は網羅されたが、すべてがモデル化された訳ではないし、今後もそんなことはあり得ないだろう。

CM's コリン・マクレー メモリアル2 スバル レガシィRS 1992 アクロポリス・ラリー

私が個人的に、レガシィRS による スバル の WRCチャレンジ で、スバル が WRC のトップコンテンダー への 光明 を見出した、また、レガシィRS が 「グラベル最速マシン」 の実力を初めて見せつけた、そして、コリン が当時の WRCトップドライバーたち を 「力」 で捩じ伏せた、輝かしいターニングポイント だと考えている、とりわけ思い入れの深い一戦がある。

 1992年 アクロポリス・ラリー だ。

 タイムチャートを見た時の感動はとても言葉では言い尽くせない。体が震えるほど嬉しかった。その話はまた別に書こうと思う。この一台をモデル化しているのは CM's だけだ。

 だが、その出来映えは、まさに 「残念」 の一語に尽きる。「形」 にしてくれたのだから、とは思うのだが・・・。あえて厳しい言葉を使えば、ポッと出しでザッと稼いで消えてったのはしようがない。雑だから。もっと真面目にやりゃあ良かったのに、と思う。

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それは、「他人の思い入れ」 にすがって 「思い込み」 でモノを作るのか、「自分の思い入れ」 を形にするためにモノを作るのかという、「モノづくり」 というもののスタンスについての 「根源的な問い」 だろうと思う。

 数が見込めないのなら、少量多品種生産 で、同じ人にたくさん買ってもらわなければならない。少々値は張るんですけど。いいと思う。大切に思えるものなら多少値が張ったって買うよ。その代わり、こだわりはしっかり形にしてもらわないと買えない。ところでアンタはこれにどんなこだわりがあるんだい?と私は聞きたいのである。

 この トミーテック の 10万キロ世界速度記録挑戦車 は、パッケージ という 「つかみ」 すら、スバリスト でなければ絶対に思いつかないような趣向を凝らしている。そして、その 「つかみ」 は スバリスト にとって、「絶対的」 なのだ。

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トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ スバル レガシィ 10万キロ世界速度記録挑戦車 Vol.1、2

化粧箱の装丁はとても美しい。

 富士重工業 の コーポレーテッド・カラー である ブルー を基調として、各号車 の側面イラスト にそれぞれの解説が付いている。そして、トミーテック がこの 10万キロ世界速度記録挑戦車 について、どういうこだわりがあるのかを表明している。

 そして、美しい仕上がりの 10万キロ世界速度記録挑戦車 が、窓から、これも凝った個別のパッケージを施されて、そこにいる。

 しかし、トミカリミテッドのセットを知っている人なら、そのパッケージは、それと同じものだということにすぐ気づくはずだ。

 パッケージ裏面には、不勉強で存じ上げず申し訳ないのだが(笑)、山内 玄 氏という方の レガシィ10万キロ世界速度記録 についての解説が載っている。

 ふむ、そうですか。と思う。

だが、「ふむ、そうですか。と思う。」のは、家に帰ってからだ。スバリスト なら、このパッケージを一目見ただけで、間違いなく 「買わざる得なくなる」 はずなのである。

トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ 1/64 スバル レガシィ 世界速度記録挑戦車 2MODELS VOL.1、2(22)
スバル純正部品パッケージ

「なんと姑息な・・・許せない・・・。」と、つぶやきながら、ニヤニヤしながら 5個ずつ、合計10個 をお買い上げしてしまったのは私です。すいません(笑)。

 おそらく、富士重工業 が 社名を 「スバル」 に変更しようと考えた 2003年 からは、新しいデザインに変わってしまったように記憶しているのだが、AB型レオーネ あたりから スバル純正部品 のパッケージは左の画像のモノだったのだ。これが今回の トミーテック の10万キロ世界速記録挑戦車 のパッケージのデザインのモチーフとなっているのだ。

 これには スバリスト は必ず 「ヤラれて」しまうだろう。また、「ヤラれ」 なければ、スバリスト とはいえないと思う。

 スバル純正部品 の山を漁ってみても、もうこのパッケージのものはなかなか見つからず、懸命に探したら、ようやく KH/KP型レックス の オイルフィルター が出てきて ホッ とした。

 箱のフタの部分の 「P/N」 とは 「Parts No.」 、「P/NAME」 とは 「Parts NAME」 の略で、まあ本物と見比べてみると、若干書式なんかも違っていたりする訳だが、商品管理に使うのは、裏面のバーコードだろうから、これも トミーテック の こだわり の所産ということなのである。

 素晴らしい!脱帽である。

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たとえば、これを現在の スバル純正部品 のパッケージでやったら、それは 「嘘」 だ。

 「BC/BF型レガシィ は、このパッケージでなければならない。」という、おそらく その時代に自動車整備工場に勤めていたか、自分の手を汚して、自分の スバル を整備していた人としか 「共有」 できそうもない、密かな、しかし緻密に計算されたこだわり。

 スバリスト なら、このパッケージをみただけで 「作り手が込めた想い」 を理解する。しかし、そういう根っからの スバリスト が、この商品を店頭で見る 「確率」 は、とてつもなく低い。トミーテック は 「それでいい」 と考えたのだ。

 100% のうちの 80% の同意を得られる商品を作るのは難しい。だが、1% の支持を得ることは簡単だ。富士重工業 は現在、世界シェア 1% を目指している。その販売台数で喰っていくためには、1台あたりの利益率がなにより重要だ。その 1% のお客は 「固い」し、守ることも難しくない。スバル がこれまでやってきたように、富士重工業 の 技術陣 が考える クルマ作りについてのビジョン を、できるだけマーケティングやライバル比較といったつまらない視点に縛られずに、愚直に クルマ に投影すればいいと思う。

 スバリスト は、そういう 「言葉」 は理解できる。なぜなら、これまで、そして今も、スバル が好きだからだ。その上で、私は作り手に「アンタはこれにどんなこだわりがあるんだい?」と、いつも問いかけている。少し 「迷い」 が見えたとしても、その 「問い」 に答えがない スバル はいまだかつて 1台 もなかった。アンチなんて、そもそもそんなもん理解することも、できる訳もないんだから、放っておけばいいのだ。

 この トミーテック の 世界速度記録挑戦車 のパッケージのような、スバリストの心を溶かす 「キーワード」 は無限にあるはずだ。

 私にとって、このパッケージの中に入っているのは 「パーツ」 だけではない。それは、アフリカのサバンナで、絶望的なパワー差にもひるむことなく、熾烈なサバイバルゲームを生き残って、幾多の入賞を勝ち取った レオーネ と、それを走らせた、スバル が好きで好きでたまらないという人々の、どんなに苦しい状況でも絶やすことがなかった 「笑顔」 であり、WRC本格参戦当初、明日への光明がなかなか見つからず苦心惨憺するチームの人々の苦悩であり、そしてまた、WRC 3連覇 の輝かしい 「栄光」 なのである。

 このパッケージから見える 「世界」 は、その人がどのように スバル と関わってきたのかでそれぞれ違うとしても、スバル という クルマ によって、この 10万キロ世界速度記録 に 挑んだ レガシィRS 、そして、現在の スバルたち とリンクしている。

 私は、この トミーテック の 10万キロ世界速度記録挑戦車 が好きだ。作った人々の 「顔」 が見える。手にすることができて本当に良かったと思う。送り出してくれた人々に心から感謝したい。

 ありがとう。

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