今回は、トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ 1/64 スバル レガシィ 世界速度記録挑戦車 2MODELS VOL.1、2 を紹介。 |
でも、もう少し考えてみれば、発売される 「その時」 に、親分 がいうところの 「勲章」 を携えて生まれてくるのと、何も持たずに生まれてきて、そこから 「積み上げていくこと」 は、全然違うことだ。 |
とても 「良い年」 になりそうだった。 |
親分ももちろんいた。AA型レオーネ の開発主幹を務められた、高橋氏をはじめとする 富士重工業 技術陣 の姿もあった。地元フェニックス の人々の暖かい協力もあった。そしてもちろん ----- 新しく生まれてくる レガシィ が無事に10万キロを走り切ってくれることを信じ、祈り続けていた、日本中の多くの スバリスト の 「熱い想い」 もあった。 |
世界記録 | ||
距離 | 平均速度(タイム/達成車両) | 従来記録 |
100,000km | 223,345km/h (447時間44分09秒887 / 2号車) < 220,358km/h(1号車)> < 219.664km/h(3号車)> |
213,299km/h サーブ9000ターボ 1986年 |
50,000マイル | 223,049km/h <360時間45分38秒013 / 2号車> |
213.646km/h サーブ9000ターボ 1986年 |
※ 2013年11月現在、100,000km、50,000マイル 世界速度記録 は、メルセデス |
国際記録(カテゴリーA グループI クラス7) | ||
距離 | 平均速度 | 従来記録 |
100,000km | 223.345km/h | − |
50,000 マイル |
223.049km/h | − |
50,000km | 225.857km/h | 175.628km/h アルファロメオ ジュリエッタ 1982年10月 |
25,000 マイル |
226.089km/h | 179.586km/h アルファロメオ ジュリエッタ 1982年10月 |
25,000km | 226.251km/h | 181.470km/h アルファロメオ ジュリエッタ 1982年10月 |
10,000 マイル |
226.221km/h | 210.290km/h ポルシェ911R 1967年10月 |
10,000km | 226.119km/h | 210.220km/h ポルシェ911R 1967年10月 |
5,000マイル | 226.707km/h | 212.240km/h ポルシェ911R 1967年10月 |
5,000km | 226.526km/h | 212.250km/h ポルシェ911R 1967年10月 |
10マイル | 229.138km/h | 180.591km/h ポルシェ914/4 1973年7月 |
10km | 219.489km/h | 174.135km/h ポルシェ914/4 1973年7月 |
24時間 | 226.792km/h | 212.310km/h ポルシェ911R 1967年10月 |
12時間 | 226.639km/h | 214.560km/h ポルシェ911R 1967年10月 |
※ 上記 13 の 国際記録 は、2013年 11月現在もなお、スバル レガシィ が保持している。 |
トミーテック が、トミカ リミテッド ヴィンテージ ネオ で レガシィRS を発売した際には、すでに フロントグリル、フロントバンパー が 別パーツ となっていたから、この 10万キロ世界速度記録挑戦車 のバリエーション展開は 「織り込み済み」 だったようだ。 |
私が個人的に、レガシィRS による スバル の WRCチャレンジ で、スバル が WRC のトップコンテンダー への 光明 を見出した、また、レガシィRS が 「グラベル最速マシン」 の実力を初めて見せつけた、そして、コリン が当時の WRCトップドライバーたち を 「力」 で捩じ伏せた、輝かしいターニングポイント だと考えている、とりわけ思い入れの深い一戦がある。 |
だが、「ふむ、そうですか。と思う。」のは、家に帰ってからだ。スバリスト なら、このパッケージを一目見ただけで、間違いなく 「買わざる得なくなる」 はずなのである。 |