2021.09.08 |
今回は、ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR を紹介。 |
この ヤマダ の レオーネ には、都合4つの箱絵違いがある。 |
ヤマダというメーカーのキットは、まあ、多少、卸屋の意向や販路で左右されていたにせよ、1970年代には駄菓子屋や文房具店よりは、百貨店のおもちゃ売り場や玩具店など、ちょっと格が高い小売店に並んでいることが多く、当時 800円 という定価もあって、子供のお小遣いでは少し "高嶺の花" だった。1980年代になっても玩具店の棚に並んでいるのをよく見かけたから、流通量自体は豊富とはいえないまでも、決して少なくはなかった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当時の自分と、模型屋に飾られた この ニチモ の 1/20 エアロスバル との2m弱の距離は、実際には、地球と444.2光年離れた遥か彼方の眩い光を放ちながら美しく夜空に輝くプレアデス星団との距離に等しい、あまりにも絶望的な距離だった。 |
リアルタイムでこのキットを走らせて愉しんでいた頃の自分より、A型レオーネについてはるかに多くのことを知り、学んだ今、私がこのキットに求めたのは、昔懐かしい SDM の走行機能をそのままに、徹底的にプロポーションとディテールを修正して、手許に置いていて違和感を感じずに愉しめることだった。 |
改めて素組で全体のプロポーションを確認する。 |
分かってはいたが、残念ながら、このままではディティールを語るどころか、まず A22型 レオーネ クーペ に見えない。そして現代のキットを見慣れた目には、致命的にすべてのモールドが緩くて甘く、左右で面のボリュームも違えば、プレスラインの形状や位置も異なっている。例えば、左右のサイドウインドウの高さと位置がまったく違う。これを修正すると、A型レオーネ の特徴である ショルダーラインやその取り合いまで修正の必要に迫られる、といった塩梅だ。 |
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実車寸法との比較から修正ポイントは |
といったところが主なメニューになるものと考えられた。この修正に伴い、ショルダー部より下の面のプレス部品同士の間の見切りやフューエルリッド、前後に走るウェスト部の特徴的なキャラクターライン、ドア下の前方に向かって緩やかに切れ上がっていく特徴的なプレスライン、それにサイドのオーナメントのモールドは切削により消滅してしまうので、ウェスト部のプレスラインは予め型取をしておいて、両サイドの面が形成された段階で天地方向の位置決めを綿密に行って、改めて彫り直している。また、サイドオーナメントも型取り粘土で元型を作りポリエステルパテで複製したものを塗装して綿密な位置決めを行った。同じく消滅してしまうサイドシル上のモールはランナーを炙って伸ばしたもので再作成した。 |
まあ、このフリクションプレートをグラインダーの刃から真円に切り出す作業は、正直、かなり骨が折れた(笑)。 |
室内は、上げ底ということもあり、あまり手を加えるところはないが、A型レオーネ の上級グレードからは、一応室内がすべてビニールレザーで覆われる、いわゆる「フルトリム」なので、プラ板を切り出してドア/サイドトリムを作成した。 |
意外だったのは、インストルメントパネルが驚くほど実車に忠実に再現されていることで、左から時計、ラジオ、三連メーター、ベンチレーショングリルが違和感なく並べられ、4スポークのステアリングホイールも、センターのオーナメントまでしっかりとモールドで再現されている。 |
モデルとなった車両には、ディーラーOPだったイエローレンズの角型フォグライトが付いているが、これは幸いなことに私の手許に実物があるので、採寸してサイズを割り出した後、1.2oプラ板を適当に切ってケースを作り、ポリエステルパテで内側の鏡面を成型。クリアレジンでレンズを成型してブラケットを追加、バンパーに取付けている。 |
こうした自分なりにこだわっているディティールをコツコツ詰めていくことで、少しづつ自分の思い描いた A22型 レオーネ クーペ 1400 GSR に近づいていく過程は、まさにモデリングの醍醐味といえる。 |
それから、フロントバルクヘッドカバーのレインドリップスリットを覆うカバーも A22型 レオーネ クーペ 1400 GSR・GS のみに標準装備だった大切なディティール。ワイパーはボディ一体モールドなので、一旦、削除した上で、新たに製作したものを取付。 |
引っ越して来て早々、私はその街のある家に、この ビートオレンジ の レオーネ クーペ 1400 GSR が鎮座していることを見逃さなかった。 |
その時、自分が何をしゃべったのか記憶にない。しかし、レオーネを見せてもらいながら熱に浮かされたようにしゃべり続けていたことだけははっきり覚えている。 |
まあ、そんな多感な少年時代を筑後平野のど真ん中の小さな集落で育った私だったが、とりあえず駄菓子屋は3軒あって、店を変えつつ、小遣いをやりくりしながら、心行くまでおやつを選ぶ愉しみはあったし、遊び場にも事欠かず、プラモデルとグンゼ産業のMr.カラーを扱っている文房具店もあり、暇な時には、駄菓子屋の軒先でラムネでも飲みながら、街の短く狭いメインストリートを走り抜けていく通りすがりの車たちを観察する喜びもあった。 |
両側面のストライプは、黒の帯が作成したデカール、その上下のシルバーのピンストライプはマスキングによる塗装処理で再現。 |
結局、その設備屋の息子さんとは今も付き合いが続いていて、この ビートオレンジ の A22型 レオーネ クーペ 1400 GSR の後に、BC5A型 レガシィRSタイプRA に乗り替えて、今も スバル に乗っている。 |