レヴォーグ

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR ビートオレンジ

2021.09.08

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(1)

今回は、ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR を紹介。

 なお、勝手なお願いで誠に恐縮だが、このネタはくれぐれも、1971年10月 に A22型 レオーネ クーペ シリーズ が発売された際に販促品ソノシートとして配布された この曲 を ループ再生して BGM にお読み頂きたい。

 ヤマダというと、現在では再販が若干滞りがちではあるが、童友社に金型が移ってしぶとく生産が続いている、1/24周辺のまちまちスケールで結構な車種を発売していた、一連の "ヤマダ スーパー ディスクマチック シリーズ" が代表作といえるだろう。

 この レオーネ クーペ 1400 GSR もそのシリーズの一台で、1972年前半発売というから、まさに実車と同じ時間を生きたスバリストにとっては貴重な逸品である。

 このキットがスバリストにとって貴重なのは、そのことばかりでなく、1973年から1977年4月の4年もの長い間、富士重工業が販促品としてかなりの数を買い上げて配布していたという事実があるからで、当時、転勤族だった私の家は、行く先々のスバルディーラーを車検や整備で訪れる度に、私はこの ヤマダ の レオーネ を何度も頂いて、組み立てて走らせて愉しませてもらった。

 ここに来る スバリスト の方々の中にも、そんな幼い頃の思い出をお持ちの方がいらっしゃるかも知れない。

 決して大袈裟ではなく、このキットは私のその後の人生に大きな影響を与えた。だから私にとってこのキットはかけがえのない大切な "宝物" なのである。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR パッケージ

この ヤマダ の レオーネ には、都合4つの箱絵違いがある。

 当時、富士重工業 の販促品として配布されたのは左のパッケージのもので、これは二度目のものだ。

 初版から、ゼンマイ駆動の廉価版のパッケージとして、1975年10月のA型レオーネ二度目のマイナーチェンジの際のバリエーション紹介カットのシーサイドブルー・メタリックの GSR をモチーフにした三度目のもの、さらにチームスバルのカラーリングになった四度目のものがある。

ヤマダというメーカーのキットは、まあ、多少、卸屋の意向や販路で左右されていたにせよ、1970年代には駄菓子屋や文房具店よりは、百貨店のおもちゃ売り場や玩具店など、ちょっと格が高い小売店に並んでいることが多く、当時 800円 という定価もあって、子供のお小遣いでは少し "高嶺の花" だった。1980年代になっても玩具店の棚に並んでいるのをよく見かけたから、流通量自体は豊富とはいえないまでも、決して少なくはなかった。

 当時の子供の "自由裁量" で買える "リーズナブル" な金額は 300円、目一杯気張って、その週のおやつ代をすべて諦め、岩倉具視 との別れを断腸の思いで決意するのが限界だった。模型屋の棚の一番上に立てて斜めに飾ってあった、当時 4,500円の ニチモ の 1/20 富士 FA-200 エアロスバル など、物理的にも、金銭的にも決して手が届かない、指を咥えてただひたすら羨望の眼差しで見上げているしかない、別世界の、遥か彼方の憧れの存在だった。

ニチモ 1/20 FA-200 エアロスバル

当時の自分と、模型屋に飾られた この ニチモ の 1/20 エアロスバル との2m弱の距離は、実際には、地球と444.2光年離れた遥か彼方の眩い光を放ちながら美しく夜空に輝くプレアデス星団との距離に等しい、あまりにも絶望的な距離だった。

 ヤマダの レオーネ クーペ 1400 GSR の話に戻ろう。キット内容は、この時代の多くのキットがそうだったように、ディティールよりも部品点数が少なくて組みやすく、モーターライズで走らせて楽しめることが第一で、前進後退とスピードを無段階に調節できる "ヤマダ スーパー ディスク マチック(SDM)" という機構がこのシリーズの特徴だった。

 だから、成長とともにモデリングでも少しづつディティールに凝るようになると、次第に脳裏から消え去っていく種類のもので、改めて手を加えて…などとは思えないキットでもあった訳だ。

 1990年代に入り、童友社 がこのキットの金型を引き継いでからは比較的安定した生産が続いていたのをご存じの方なら、「童友社製でもいいだろう」と考えるかも知れない。だが、残念なことに、このキットの「キモ」である SDM の構成部品は、このキットが発売された 1970年代は教材用などで容易に手に入った汎用品だったのだが、時は流れ、童友社が再販を始めた時には、当然これらの構成部品は入手不可能だったはずで、モーターに取付けたピニオンギヤで後車軸の平ギヤを駆動する一般的なモーターライズシステムに変更されて、それに伴い、シャシー金型も変更されているので、厳密には同じ内容のキットとはいえないのだ。

 しかも 童友社製 は、ウィンドウのクリヤーパーツがなぜかブラウンのスモーク樹脂で成形されているので、リアリティを追求するなら、窓ガラスを自作する手間が掛かるのが難点だ。これは特にサンデーモデラーの方には頭が痛いだろう。

 だから、21世紀の現在でも、あえて 童友社製 ではなく、かつて ヤマダ が生産したキットを手にする必要性が生じてしまうのだ。

 この ヤマダ の レオーネ クーペ こそ、1/32 の 日東化学製 や1/25 の エーダイグリップ製 や 1/40 の ミドリ玩具製 の、箸にも棒にも掛からないお粗末な内容のものに比べれば、A型レオーネ の出だしを担った クーペ 1400 GSR のキットとしては筆頭に挙げられるべき存在で、いつかしっかり組みたいと思った時のために、ストックだけはおさおさ怠らなかった。

 そして、ついにその時がやってきた。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(2)

リアルタイムでこのキットを走らせて愉しんでいた頃の自分より、A型レオーネについてはるかに多くのことを知り、学んだ今、私がこのキットに求めたのは、昔懐かしい SDM の走行機能をそのままに、徹底的にプロポーションとディテールを修正して、手許に置いていて違和感を感じずに愉しめることだった。

 やはり、単純に「レオーネGSR を走らせることができる」という、私が子供の頃に胸躍らせた行為を実現してくれる SDM はこのキットの「魂」である。シャシーを一から新造してリアリティを追求することは、手間は掛かるが問題なくできる。しかしまずは、SDM を内包した構成でどこまでリアリティを突き詰めることが可能なのかを知りたかった。

 そのために、新車解説書から各ボディパーツ間の寸法を徹底的に拾い上げ、今回の製作に投影した他、それでは分からない面の質やディティールについては、今もなおこの A22型 レオーネ クーペ 1400 GSR を大切に維持し続けているオーナーのご厚意を得て、しっかりと煮詰めることが可能になった。心より御礼申し上げたい。

改めて素組で全体のプロポーションを確認する。

 今回製作に供したのは、上で書いた4度目のパッケージのもので、ボディ成型色はクリームだ。

 チームスバル の銘が入ったデカールが入っているが、残念ながら、当時、チームスバル が サザンクロスラリー や 国内ラリー で走らせていた車両とは、何の縁もゆかりもない。

 ちなみに、かつて スバル が販促品で配布したもののボディ成型色は、実車で言えば、1973年6月発売の、レオーネ 2ドアハードトップ の専用色 リーガルマルーン にごく近い あずき色 になる。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(4)

分かってはいたが、残念ながら、このままではディティールを語るどころか、まず A22型 レオーネ クーペ に見えない。そして現代のキットを見慣れた目には、致命的にすべてのモールドが緩くて甘く、左右で面のボリュームも違えば、プレスラインの形状や位置も異なっている。例えば、左右のサイドウインドウの高さと位置がまったく違う。これを修正すると、A型レオーネ の特徴である ショルダーラインやその取り合いまで修正の必要に迫られる、といった塩梅だ。

 一方で、フロントグリルとリヤガーニッシュASSY、オーナメント類については非常にモールドはシャープ。オリジナルのディティールについては裏の画像でご確認頂きたいが、ヤマダのキットはどれも概ねこのような傾向がある。

 余談だが、このシリーズの第一作は 1/24 PA90 で、それに合わせて SDM のシャシーは新造された。ところが、このSDM のシャシーはホイールベースはもちろん、スライドスイッチが備わるリヤオーバーハングについては車種毎の寸法に合わせて金型を修正しようとすると膨大な手間が掛かる。そこで、おそらく1/24で企画・設計した A22型 レオーネ クーペ のボディを既存のシャシーに合わせてチマチマ修正していくうちに、1/21 という、なんとも中途半端なスケールになり、こんないびつな形になってしまったのだろう。実車の世界と同様、多くのキットメーカーが多バリエーションを追い求めていたこの時代のキットではありがちだったことだ。

 まあ、それはいい。形として残してくれたことだけでも心から感謝しているし、何よりこのキットは私にかけがえのない愉しい思い出をくれた。そんな欠点を克服する技術と経験を身に着けた今だからこそ、ヤマダ と このキットへの心からの感謝の気持ちを込めて、改めてこのキットと真摯に向き合ってみたいと考えたのだから。

 じゃあ何を作ろうか?

 色はパッケージの ビートオレンジ で決まりだが、それだけではつまらない。だったら、1971年10月の発売から半年余りカタログカットや広告で使われ、まさに 初期の A型レオーネ のイメージを担ったこのクルマこそ、ずっと片付けそびれていた "夏休みの宿題" だ。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(6)
ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(6)

実車寸法との比較から修正ポイントは

@ フロントグリル開口部の1.2o上げ
A 右側サイドウインドウ開口部1.5o上げ
B ショルダープレスライン修正
C リヤオーバーハング1.5o短縮
D ショルダー部より下の面のボリュームを
  落として平板化
E リヤホイールアーチ小型化
F サイドシル部を内側に鋭く切れ込む形に
  修正
G 前後ホイールアーチプレスライン作成

といったところが主なメニューになるものと考えられた。この修正に伴い、ショルダー部より下の面のプレス部品同士の間の見切りやフューエルリッド、前後に走るウェスト部の特徴的なキャラクターライン、ドア下の前方に向かって緩やかに切れ上がっていく特徴的なプレスライン、それにサイドのオーナメントのモールドは切削により消滅してしまうので、ウェスト部のプレスラインは予め型取をしておいて、両サイドの面が形成された段階で天地方向の位置決めを綿密に行って、改めて彫り直している。また、サイドオーナメントも型取り粘土で元型を作りポリエステルパテで複製したものを塗装して綿密な位置決めを行った。同じく消滅してしまうサイドシル上のモールはランナーを炙って伸ばしたもので再作成した。

 この両面サイドの平板化は、最も大きく削る部分で 2o以上 切削する必要があるので、予めボディ裏に型取りして切り出した 1.2mm プラ板と流し込みセメントで、主にドアとその前後をガッチリ裏打ちしておくと安心だ。

 フロントの大型ノースフィンとリヤスポイラーは1.2oプラ板を切り出して大まかな形を作って、切削しながら、エポキシパテ、ポリエステルパテで最終的な形を決定した。

シャシーについては、フロントステアリングピボット部を、前方に約1.5o移動。そのピボット部に挿入するハブの上側ピン部にスペーサーを作成して噛ませて車高を調整。同じくトレッドもスペーサーを作成して調整。

 問題はリヤの車高上げで、車高を上げるために後車軸の受けを新たに作成して固定すると、モーターの動力を伝達するカウンターギヤと後車軸駆動用フリクションディスク間に約4oの空間が生じて接触しなくなってしまうので、カウンターギヤ内側に、グラインダーの刃から切り出した厚さ4oのフリクションプレートを作成して、モーター動力を後車軸フリクションディスクに伝達できるように変更している。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(7)

まあ、このフリクションプレートをグラインダーの刃から真円に切り出す作業は、正直、かなり骨が折れた(笑)。

 また、シャシーについては、ニチモ の AF5型 レオーネ スイングバック 1.8 4WD 同様、実車のメカニズムをまったく反映していないので、ディティールを考えれば完全に新製してしまった方がむしろ良いのだが、私にとって、このキットと SDM は切り離せないものなので、この SDMシャシー を生かすと決めた以上、今回はこういうプロセスを踏まざる得なかった訳だ。

 裏画像ではそれぞれの工程の区切りで撮影したものを公開しているので、もし同じことをやりたいという奇特な方がいっらっしゃれば、ご参考にして頂ければ幸いである。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(8)

室内は、上げ底ということもあり、あまり手を加えるところはないが、A型レオーネ の上級グレードからは、一応室内がすべてビニールレザーで覆われる、いわゆる「フルトリム」なので、プラ板を切り出してドア/サイドトリムを作成した。

 フロントシートのヘッドレストがシートバックと一体になっているので、ヘッドレストとシートバックは切り離して、実車の "シースルーハイバックシート" を再現。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(9)
ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(10)

意外だったのは、インストルメントパネルが驚くほど実車に忠実に再現されていることで、左から時計、ラジオ、三連メーター、ベンチレーショングリルが違和感なく並べられ、4スポークのステアリングホイールも、センターのオーナメントまでしっかりとモールドで再現されている。

 もちろん、時計、ラジオ、メーターは、しっかりと実車からデータを作成したデカールを貼付している。

 インストルメントパネル上面には、中央のスピーカーグリル、その両側にある円形のフロントガラスデフォッガーグリルを追加。

 これだけで随分と見栄えのする室内になった。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(11)

モデルとなった車両には、ディーラーOPだったイエローレンズの角型フォグライトが付いているが、これは幸いなことに私の手許に実物があるので、採寸してサイズを割り出した後、1.2oプラ板を適当に切ってケースを作り、ポリエステルパテで内側の鏡面を成型。クリアレジンでレンズを成型してブラケットを追加、バンパーに取付けている。

 そして、もうひとつ、モデルとなった車両は、OPだったメッキリムのスチールホイールに大型のメッキセンターキャップが取付けられているが、そもそも私にとって世界一のクルマは、この A22型 レオーネ クーペ 登場とともに生産を終えた、スバル1300Gスポーツセダン 後期型 なので、この GSR、GS に標準装備だった濃いガンメタリックに塗られたスチールホイールにハブキャップという組み合わせのアイテムだけは絶対に変える訳にはいかなかったのである。

そうそう、A22型 レオーネ クーペ というと忘れてはいけないのが、GSR、GSに標準装備だった、このルームミラー・ルームランプ一体式のオーバーヘッドコンソール。

 ふたつのインジケーターはドアロックの閉め忘れとワイパーウオッシャー液の残量を警告してくれる、まあ、あってもなくても…(笑)という類の、いささかお節介な装備だが、これがなければシングルキャブの GL、DL ということになってしまって "GSR が買えなかった残念な人" ということになってしまうので、1.2oプラ板を2枚貼り合わせたものを金ヤスリで成型して、モールを付け、インジケーター2つとルームランプはクリヤーパーツで作成。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(12)

こうした自分なりにこだわっているディティールをコツコツ詰めていくことで、少しづつ自分の思い描いた A22型 レオーネ クーペ 1400 GSR に近づいていく過程は、まさにモデリングの醍醐味といえる。

 出来合いのものでは満足できないからこそ、自分の手で作り出しているのだし、それができる技術と経験があるから面白いし愉しいのだ。

 エクステリアは、リヤガーニッシュのテールライト・ターニングフラッシャー部を切り抜いて裏からクリヤーパーツを追加。さらに裏面には鏡面も追加。秀逸な出来のフロントグリルは、ヘッドライト部を開口して鏡面を新設。ライトレンズをクリアレジンで新製して追加している。

 トランクフードにモールドされているオーナメントは、リヤスポイラーを取り付ける関係上隠れてしまうので、やはり型取りして複製した上で塗装してリヤスポイラー後面に貼付した。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(13)

それから、フロントバルクヘッドカバーのレインドリップスリットを覆うカバーも A22型 レオーネ クーペ 1400 GSR・GS のみに標準装備だった大切なディティール。ワイパーはボディ一体モールドなので、一旦、削除した上で、新たに製作したものを取付。

 ドアオープナーノブ、ルーフアンテナ、フロントフェンダーのターニングフラッシャーランプも、ディティールにこだわり、質感に配慮して一から製作したものである。

 ボディカラーの ビートオレンジ は、残念ながら現存する車両こそ知らないが、当時のカラーサンプルが手許にあるし、転勤族のわが家が筑後平野の田んぼの ど真ん中 の小さな集落にできた戸建の住宅団地に落ち着いたばかりの子供の頃、最初に友達になってくれた、近所の設備屋の息子さんが乗っていた GSR が纏っていたボディカラーなのだ。その色味は目に焼き付いているんだし。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(18)

引っ越して来て早々、私はその街のある家に、この ビートオレンジ の レオーネ クーペ 1400 GSR が鎮座していることを見逃さなかった。

 私は毎日、その GSR のオーナーを、向かい側の織物工場の駐車場のブロック塀の陰に隠れて待ち伏せた。この織物工場の次男が後に私の同級生になるのだが、実はこの時、この同級生の親御さんは、自分の工場の敷地内でこの奇妙な行動を毎日繰り返す子供を事務所の中から首を傾げて眺めていたという非常に残念な逸話が残っている。

 しかし私が見張っているときに限って、なかなかオーナーは姿を現わしてはくれなかった。しかし確かにクルマの位置は昨日あった場所とは微妙に違っているから、レオーネ は間違いなく動かしている。

 1週間待ち続けただろうか。春先の暖かい昼下がりだった。

 私はお目当ての レオーネ に一人の男性が近づいていく姿を確認した。

 私はブロック塀を離れると、車が来ていないか右左を急いで確認し、全力ダッシュでその男性に駆け寄り、そして息を切らしなが男性の背後から、「この レオーネ はあなたのクルマですか?」と叫んだ。

 不意を突かれたその男性は、驚いて飛び上がり、振り向きざまに裏返った声で「誰だっ!!!」と叫び返した。

 いくらなんでも見ず知らずの赤の他人を脅かせてはいけない。この時のあまりにも残念過ぎる自分に「他人に話しかけるときは、まず型通りの挨拶ぐらいしような。」と窘めてやりたいといつも思うのだ(笑)。

 私は一転して、務めて静かな声で、しかし男性の眼から視線を逸らさずに「あの…僕は スバル が好きなんです。」と続けた。「この レオーネ の持ち主にどうしても会いたくて、ずっと待ってたんです。」

 男性は答えに窮して、怪訝そうな表情のまま、この奇妙な子供との出会いをしばらく首を捻って考えていた。

 少し長い沈黙に私は不安になってきて、慌てて「あの…僕のお父さんも スバル が好きで、ウチのクルマは 1300G です。だから…」と、しどろもどろで言葉を継いだものの、いくら後先を考えない酷い人間でも、もはや完全に自責の念に押し潰され、下をうつむいた。

 そこで男性は破顔一笑、声を上げて笑いながら「そうか、君は スバル が好きなのか?俺も スバル が好きなんだ。この レオーネ の前は 1300Gスポーツ に乗ってたんだ。」

 もう私は天にも昇る気持ちだった。せ、1300Gスポーツ だって!? その言葉は私を完全に打ちのめした。私にはもうその男性が聖人君主にしか見えなかった。

わが家の 46年式 スバル1300G 2ドアセダン GL

その時、自分が何をしゃべったのか記憶にない。しかし、レオーネを見せてもらいながら熱に浮かされたようにしゃべり続けていたことだけははっきり覚えている。

 その後、男性は私を レオーネ に乗せてくれて、家まで送ってくれた。別れ際、ウチの キャニオンゴールド の 1300G GL は親父が通勤に乗っていっていて、お礼に男性に見せてあげることができなかったことがあまりにも無念だった。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(14)

まあ、そんな多感な少年時代を筑後平野のど真ん中の小さな集落で育った私だったが、とりあえず駄菓子屋は3軒あって、店を変えつつ、小遣いをやりくりしながら、心行くまでおやつを選ぶ愉しみはあったし、遊び場にも事欠かず、プラモデルとグンゼ産業のMr.カラーを扱っている文房具店もあり、暇な時には、駄菓子屋の軒先でラムネでも飲みながら、街の短く狭いメインストリートを走り抜けていく通りすがりの車たちを観察する喜びもあった。

 お目当ては決まっていた。スバル1000ff-11300Gを見かけたら、急いで自転車に飛び乗って全力で追いかける。すると大体、路端に駐車している車両に引っ掛かって、対向車をやり過ごすために止まらざる得ないので、そこで「捕獲」するのだ。この手で近場の 1000、ff-1、1300G の在り処はすべて掴んでいた。

 勉強はできず、内気で、人と話すことが苦手な上に怠け者という私だったが、こと スバル となると話は別だった。

 しかも悪いことに、家の近所には、なぜか P40型以降 の K111 ばかりが入ってくる解体屋まであった。色はお決まりの ミストブラウン だ。ジャンクヤードの上に積んである K111 に乗り込んで、日がな一日昼寝をしていたり、エンジンを弄って掛けてみたり、敷地の中を動かしたりして遊びながら…そして、ごく稀に入ってくる 1000 や ff-1 にドキドキして…。こんな愉しいことがたくさんあるんだから、勉強なんかやってる暇はなかった(笑)。

 まあ、スバリスト として極めて充足した子供時代を過ごすことができたことは幸運だったし、大切な私の財産になっている。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(15)

両側面のストライプは、黒の帯が作成したデカール、その上下のシルバーのピンストライプはマスキングによる塗装処理で再現。

 徹底的にチェックした下地により平滑な塗装面と徹底的にこだわりぬいたディティールの味わいを心行くまでご堪能頂きたい。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(16)

結局、その設備屋の息子さんとは今も付き合いが続いていて、この ビートオレンジ の A22型 レオーネ クーペ 1400 GSR の後に、BC5A型 レガシィRSタイプRA に乗り替えて、今も スバル に乗っている。

 初めて A22 で家まで送ってもらった時の、1300G とは違う、ツインキャブの EA63S の低いボクサーサウンドは、今も私の耳に焼き付いている。

 ガレージの奥に佇む私の BC5 の向こうに、時々、ふと、この ビートオレンジ の A22 がいるような錯覚を覚え、今も私が暖かな気持ちになるのは、きっとそんな遠い昔の暖かな記憶のせいだろう。

ヤマダ 1/21 スバル レオーネ クーペ 1400 GSR(17)

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